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マイケル・サンデル 実力も運のうち を読んだ 運と実力の関係を問う: 未来への警鐘 グローバリゼーションと社会の絆

 

 

相変わらず金のかかってない装丁である。いや、かかってるのか??

 

さておき、普通は「運も実力のうち」という慣用句である。だが、サンデルは「これからの正義の話」でも実力も運のうちだと言っている。マイケルジョーダンが莫大な富を得たのもボールを輪っかに入れる遊びが流行っていたからに過ぎない、と言う。

 

あとがきに書いてあるが、メリットを能力と訳すと若干のニュアンスの違いがある。メリットはどちらかというと、「功績」と考えた方がすんなりと意味が通るかも知れない。

 

さて、今の世の成功者たちは、自分たちの努力と才能で成功したと考えている。同様に落伍者たちは自分に能力と才能がないからだと考える。これが社会に分断と共通善の衰退をもたらしている。

 

イギリスの社会学者、マイケルヤングは60年前に能力主義の問題点を指摘している。昔の労働者は「自分はなぜ労働者なのか。チャンスがなかったからだ。チャンスさえあれば医者でも大臣でもなんでもやれたが、チャンスがなかったから労働者なんだ。底辺にいるからといって他の誰より劣っていることはない」

 

しかし、能力主義、スタートの平等が蔓延した社会ではこう考える。「自分が底辺にいるのはチャンスがなかったからではなく、自分が劣っているからだ」ヤングはこう書く。「人類史上初めて身分の低い者は自尊心を巧みに支えられるものを失っているのだ」と。

 

さらに、能力があると言っても、単にいい大学を卒業したに過ぎない。そんな連中が自分たちは才能があると錯覚して幅を利かせている社会は、貴族が貴族に生まれたから偉いと勘違いしている滑稽さと選ぶところがない。

 

サンデルは実力などというものは所詮運に過ぎないのだから、エリート諸君よ傲るのをやめよ。というが、それは無理だろう。

 

わたしは逆に、底辺にいる者たちへ、エリートを崇めるのをやめよ。自分よりも学歴が劣る者を見下すな、と伝えたい。エリートを崇めたりうらやんだりすることと、自分より劣る者を見下すことは同義である。

 

諸賢の周りの有名大学を卒業したという連中をよく観察して欲しい。バカばっかりではないだろうか? 中には尊敬出来る人間もいるだろう。だが学歴が低くても尊敬出来る人間は同じくらいいるはずである。

 

サンデルは最後に以下のようなことを書いている。

 

過去40年間のグローバリゼーションと成功概念が道徳的絆を破壊した。グローバル化によって、我々は同胞である市民をあまり頼らなくなり、彼らの仕事に感謝しなくなり、連帯しなくなった。能力主義が成功は自らの手柄だと教え、恩義の意識を壊した。能力の時代が破壊した社会の絆を修復しなければならない。

 

とすると、答えはトランプなのである。能力主義は信仰なのでなかなか壊すことが出来ないし、それに変わる制度もない。となると、まずはグローバリゼーションを破壊して、労働の価値を再認識する以外にない。いやが上にも同胞に頼らなければならない社会を作るのが第一歩ではないだろうか。