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第171回芥川龍之介賞 受賞大予想!!!

選考会は十七日なので、まだちょっとゆとりがあるが、早速発表してしまいたいと思う。

 

 

それぞれの作品の詳しいレビューはリンク先をご覧いただきたいと思うが、改めてひとことずつ感想を述べたい。

 

 

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バリ山行は、登山道以外で山の中に分け入っていくという反道徳的な作品で、昨今我が国に蔓延っているルール真理教に一石を投じるという意味もあるかも知れない。しかし、ルール真理教の信者ばかりのこの国では叩かれるのがオチである。

 

 

 

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この作品はレビューでも書いたが、元が3倍くらいあって削った感じが否めない。そうでないのなら、曖昧に書きすぎである。ちょっと読者をバカにしていないだろうか。

 

 

 

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個人的に一番面白かったのはこの作品である。終盤だれる感じではあるが、序盤の緊張は本物である。芥川賞はただ小説として面白ければいいというわけではない。時代性、社会性、そういうものも加味されねばならない。ちょっと漫画チックではあるが、良い作品である。

 

 

 

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これも面白いが、あまりにもリアリティが薄い。全体的に薄いならマジックリアリズム的で面白いのであるが、一部分だけ薄い。朝日の存在という核となる部分だけが語られないという、作者自体が作品に振り回されて収拾が付かなくなった嫌いがある。

 

 

 

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正直、この作品は評価に悩む。ただ、場面転換とか、叙述とかが必ずしもスマートではない。本質を評価出来ないので、そういう周辺で評価するしかわたしには出来ない。もっともダークホースを感じる作品。

 

 

ということで、いつもの通り不等号で受賞予想をして行こう!

 

 

 

ずばり!

 

 

 

 

転の声>いなくなくならなくならないで>バリ山行>サンショウウオの四十九日>海岸通り

 

である!

 

ずばり! ……と書いた後、十五分は悩んだ。今回は難しい。ずば抜けた作品がなかった。では、受賞作なしか、というと、芥川賞で受賞作なしは第145回以来ないのである。

 

昔は結構頻繁に受賞作なし、があった。だが、昔と違い今や純文学は風前のともしびである。受賞作なし、などやっている場合ではない。

 

で、どうせ分からないのなら、わたしの好みで決めてしまおうと、上記のような順位となった。

 

転の声が審査員にどこまで理解されるか分からないが、まぁ、落ちたら落ちたで仕方がない。

第171回芥川龍之介賞候補作品 朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』(新潮5月号)を読んだ 感想 レビュー

 

 

わたしは新潮の方で読んだ。

 

一人称の作品で、妹(瞬)、父、母、との家族団らんの光景から始まる。語り手は杏という女性。読み進めていくと、突然、杏の一人称のはずなのに、瞬の視点や感情が入る。

 

いわゆるど素人さんがやる視点の混在である。おいおい、まがりなりにも芥川賞候補作だろ、と思いつつ、読み進めていくと、

 

 

ネタバレあり

 

 

なんと杏と瞬は「結合双生児」なのである。普通結合双生児というと頭が二つあるのであるが、杏と瞬は顔面の左右で別れているという奇抜な設定なのだ。

 

テーマ的には、一つの人体の中に二つの人格が存在する。それも、多重人格ではなく、同時並行して存在するという、小説でないと表現出来ない試みをしている。

 

ただ、なかなか難しくて、多重人格と何が違うのか、と言われると、明確な違いというのはわからない。多重人格でも同時並行して人格が語られる場合もある。

 

結合双生児でも頭が分離している場合が多く、タチアナ&クリスタは頭の一部がくっついていて思考が共有出来るという。そのため、タチアナ&クリスタの記述が多くなされている。

 

右半分と左半分で別人というギミックは面白いのであるが、その他の部分が普通の小説なのだ。

 

ちなみに、杏と瞬の父親は叔父の胎児内胎児であり、叔父の養分を吸収して生まれてきた。

 

小説の中ではその叔父が亡くなって、葬式と四十九日を行う。タイトルの四十九日はそこからきている。

 

でも、普通の小説なのだ。主人公が結合双生児、その父親が胎児内胎児というだけで、これといって特別な物語もない。

 

じゃ、つまらないか、と言われると、そうでもないのである。多重人格者的な面白さはあるのである。

 

正直今回の作品の中で一番評価に迷っているのがこの作品である。

聲の形 観た

 

 

あらすじ

小学生の石田は転校してきた聾唖者の硝子をいじめ抜いて転校させる。

しかし、硝子をいじめた責任を他の生徒になすりつけようとして、クラス中から総スカンをくらい、石田はいじめられるようになる。

高校生になって改心した石田は硝子に謝り自殺しようとするがうまくいかない。結局硝子と友達になり過去を乗り越える。

 

 

以下ネタバレ

 

 

と、あらすじはそうなのであるが、石田の硝子に対するいじめは昔の基準でもいじめなどとは呼べない。傷害、器物損壊、普通に少年院レベルである。壮絶なるいじめである。いじめていじめていじめ抜いた感じだ。無邪気な子供がすることでは片付かないだろう。一つ20万円ほどする補聴器を八つも強奪したり、破壊したりする。

 

耳の奥に入っている補聴器を無理やり引っこ抜いて流血させたり、しかも、平然とヘラヘラしている。サイコパスである。

 

石田はいじめが発覚したあと、責任を他のクラスメイトになすりつけようとして逆にいじめられるのであるが同情の余地がない。

 

ていうか、サイコ石田の性格ならば、自分をいじめるやつを片っ端から惨殺しても良さそうなものなのであるが、なぜか急に弱気になる。

 

そして高校生になると突然聖人になるのである。硝子の妹に画像を晒されて謹慎処分をくらっても、怒るどころか何ら恨みの感情すら抱かない。

 

まぁ、アニメなので原作ほどの尺はないし、そういう細かいところを気にしなければ、本作は人間の複雑な感情ゆえに、なかなか1枚の絵にならないパズルを、お互いに埋めていくという、興味深い構成になっている。

 

小学生時代の石田の鬼畜っぷりさえ気にならなければ、本作はなかなか面白いし見どころはたくさんあると思った。

 

調べたら原作は七巻まである。やはり二時間に収めるのにはいろいろ無理があったか。