物欲が絶えない。金銭欲が尽きない。
こんな悩みを抱えている人は多いのではないだろうか。
そして、世の中には拝金主義者も多い。
しかし、これは仕方のないことだと思う。我々は生まれたときから金が大事、欲しいものを得るために努力をせよ、このように教わってきた。
何か良いことをすると、ご褒美として、金や物をもらえた。
金を神のごとく崇拝するように子供の頃から教育されている。
おそらく、キリスト者とかイスラム原理主義者とか、心の底から神を崇めている向こうの宗教者たちは、子供の頃から神が大事だと教えられているのだろう。
そんな彼らに、「神様なんかいないぜ」と言っても聞く耳を持たないだろう。
同様に、我々拝金原理主義者は、
「大事なのはお金じゃない」
と言われて、
「ですよね。大事なのはお金じゃありませんよ」
と口では答えつつ、心の底では心底金が大事だと信じて疑わない。
真の宗教家が神を否定しても否定しきれないのと同様である。
ひとたび欲しいものが出来ると、その欲しいもので頭がいっぱいになってしまう物質信仰も、ひとえに信仰なのである。
前回の、モノには霊が宿る、の続きではないが、我々の信仰とはその霊を捉える力であるとも考えられる。
そして、その物質信仰の心願成就に必要なのが「金」であり、モノを金と交換するのである。究極的に考えると、金=モノと言えなくもない。物質信仰と拝金主義は同根である。