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小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

猛烈な自己愛との葛藤

先日、ある成功者の講演会に行った。成功者は年収数億円だという。その成功者が繰り返し言っていたことは、与えることの重要性である。しかし、そこにはリターンを求めていいという。

「自分のためだけに何かするのではない。人のために何かをする、でも、それは自分に返ってくる。でも、自分のためだけじゃ駄目なんです。人のため、社会のために働く、しかし、それは自分の利益に繋がる。でも、自分のためだけじゃない。でも、まずは自分が幸せになる、自分を満たす、そうじゃないと、他人を幸せに出来ないし、他人を満たせない。でも、自分のためだけに何かをするのは違う。あくまで他人のため、しかし、そこには自分の利益もある」

私には成功者の葛藤が聞こえてきた。私も同じ病を抱えているし、多くの現代人が同じ病を抱えていることだろう。

すなわち、100%他人のために何かをするということに罪悪感を覚えてしまうのだ。偽善を感じてしまうのだ。

我々は、他人のため、社会のために何かをしてやるにしても、それは回って自分のため、という言い訳がほしい。

滅私で100%他人のため、社会のために生きるという人間は不気味であると同時に胡散臭さを感じてしまう。だから、自分自身も100%他人のためになにかをしようということに躊躇いと後ろめたさを感じ、「これは回り回って自分のため、自分の勉強のため、自分の評価のため」などと自分という免罪符を貼って回る。

おそらく、こうなったのは戦後の民主主義教育の賜物ではなかろうか。人権、生命至上主義、自由と民主、個人思想 etc.

「あなたが自分が大事なように、他人も自分が大事なのです」「ヌチドゥタカラ」「間違いの戦争、特攻隊は可哀想」

こんな教育を受け続けてきて、私たちは自分を大切だと信じ、命をかけがえのないものと信じ、他人もそうなのだろうと信じている。

自分が大切だからこそ、幸福になることはイコール自分を大切にすることとなる。そして、この幸福のイメージに物質社会を重ねて経済発展の燃料にする。故に、経済発展は幸福であり善となる。

国民国家、近代国家が戦争に有利だったように、個人主義、個人的幸福追求は経済発展に有利だった。

中世、神が価値観であったように、現代では生命至上主義、個人的幸福追求、これらはドグマなのである。

古来より幸福の象徴として福禄寿がある。福は子供を得ること、である。福禄寿の筆頭が福であるのに、最近は禄(金)寿(長寿)が優先される。なぜなら、自分が大切だからである。子供さえ自分の幸福追求の妨げになりかねない。結婚などもってのほかである。

愛する者のために死ぬなどと言うのは、今や喜劇である。リアリティを感じないのではないだろうか。最近の恋愛映画の薄っぺらさは、リアルなのではあるが、今ひとつ物足りない。

では、愛が無くなったかと言えばさにあらず。リアリティがあるのが強烈な自己愛である。冒頭の成功者ではないが、「自分のためだけに何かするのではない。人のために何かをする、でも、それは自分に返ってくる。でも、自分のためだけじゃ駄目なんです。人のため、社会のために働く、しかし、それは自分の利益に繋がる」これこそ、強烈な自己愛との葛藤なのである。