本題の前に、ブログ名を変えた。
前の単に「オフィシャル・ブログ」というタイトル。
暫定で付けたつもりが、気がつけば5年である。長い。
ついに変えた。
だが、これもあんまりなぁ。来年からなんかこう、新しくしたい! みたいな。
あと、記事の表示数を1記事にしてみた。
なにかで、1記事がいいと読んだことがあったし、重たかったから。
これで、間違いなく軽くなった!
アクセス数が減ったら元に戻せばいいし。試行錯誤です。
では、本題。

日本文学100年の名作第8巻1984-1993 薄情くじら (新潮文庫)
- 作者: 池内紀,松田哲夫,川本三郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2015/03/28
- メディア: 文庫
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どちらもこれに入っている。
夏草 大城立裕
戦争文学である。沖縄戦の最中に、沖縄を逃げ迷う夫婦の話。逃げているうちに息子と娘は死ぬ。もう食い物もなく、あとは死を待つのみであった。兵隊の死体から奪った手榴弾もあるし。
さて、手榴弾を取り出し夫婦で死のうとしたところ、大きなハブが現れる。夫婦は抱き合い、息を潜めて、ハブをやり過ごす。すると、性欲がむらむら湧いてきて一発やってしまうのだ。どこにそんな体力が残っているのかと思うのであるが、火事場の馬鹿力なのだろうか。で、一発やると、死ぬのが惜しくなって、生き続ける、という話である。
こうあらすじを書くと馬鹿っぽい話であるが、読むと非常に文学的である。一発やるのはどうかと思うが。
神無月 宮部みゆき
さすがミステリー作家だけある、牽引力のある小説である。ミステリーをどうやって書くのか、情報はどのように小出しにするのか、よく分かる。
台詞の中で、
「こいつははみを咬んでいる。てめえの手綱をてめえで握っている」
というのが出てくる。
はみを咬むとはどういう意味だろうか。
はみ、とは轡のことである。
馬が咬んでいる鉄の棒で、手綱と連動している。
競馬用語で、はみを咬むというのは、余分な力が入ってしまっている、とか気合いが入っている、とかいう意味らしい。しかし、ここでは、「自分で自分のことをコントロールすることが出来ている」そういう意味だと思う。なかなか使いにくい言葉を使ったものである。