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三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜 を再び観た

四年前、映画館で観たのだ。

四年前のレビューはこちら↓

三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜 観てきた 1900円の価値はある! - 文学・文具・文化 趣味に死す!

 

 

 

今回はAmazonプライムで観た。改めて四年前の自分のレビューを読んだら、なるほど、映画館で観た興奮冷めやらずといった感じである。

 

映画館も良かったが、この映画はアマプラで観るのも良い。

いろいろ考えさせられるから、そのたびに止めたり、戻したり、他の資料に当たったりしながら、倍くらいの時間をかけてみた。

 

結局、三島が死んで54年経とうとするが、日本は何も変わっていない。54年どころか、三島が死ぬ前から変わっていないのだろう。戦前は知らぬが、戦後79年間、この国は変わっていないのではないだろうか。

 

映画の中に出てくる、「国家の運命と自己の運命が重なる陶酔感」というものは、戦後社会にはない。

 

しかし、当時(1969年)の若者は元気である。共産革命が起こるかも知れない、と多くの人たちが思っていた。それだけの事件は起こしている。今とは雲泥の差である。政治に何をそこまで期待していたのか、想像が出来ない。

 

ゲバ棒でぶん殴って、火炎瓶を投げつける価値のある政治が今は存在しない。彼らが何を期待していたのか、という問いは、我々は何を諦めてしまったのか、という問いと同じではないだろうか。

 

政治の腐敗は続いているが、巨悪というほどのにも思えない。わたしは多くの政治家を知っているが、彼らは出来れば国民のために働きたいと思っている。善いことをしたいと思っている。ただし、仲間内の調和を乱さず、預金の額が減らない限りに於いてである。そして、心が痛まない程度のチョンボをする。

 

しかし、チョンボをするのはなにも政治家に限らない。叩いてひとつの埃も出ない人間などこの世に存在するのだろうか?

 

わたしは正義面している人間を見ていると虫ずが走る。三島は討論会の中で「キチガイ」だの「殺す」だの連発している。現代では通用しないだろう。現代では正義面の連中が黙っていない。

 

もし、三島の時代よりも現代が悪くなっているとすれば、NGワードが増えすぎて、言語が機能しなくなってしまったということではないだろうか。芥氏的に言えば「人間と人間の間に媒体として言葉が力があった時代の最後だとは思っている」となる。

 

さて、表面だけ綺麗に塗っている現代であるが内蔵の腐敗具合は以前と変わらぬ。しかも、腐敗を隠そうと表面を塗り続け、危ない言葉は飲み込み、正義面を終始スマホで確認している。この調子だと、百年後も今と変わらぬだろう。