自民党の不祥事が相次いでいる。
彼ら政治家に国を思う心はあるのだろうか?
「あなた、国のことを考えてますか?」
と問はば、
「はい。国のことを考えています」
と答えるだろう。
では、その政治家にとっての国とは一体なにをさすのだろうか?
これは政治家だけの問題ではないだろう。
教育者、経営者、労働者、芸能人、職人、浮浪者、に至るまで、「国」がなんであるのかそれぞれ十人十色なのではなかろうか。
この漠然とした「国」のために働くとはどういうことなのだろうか。
経営者や労働者は「おれたち政治家じゃないから」と言って国のために生きることを回避することが出来る。だが、有権者が「国」のために生きることを回避し続けた結果が今の惨状ではなかろうか。
ただ、一億総火の玉になって国のために生きるというのも恐ろしい。そんな一億に押される形で、政治家がガチで「お国のため!」などと言い出しかねない。それなら、適当に道路や体育館や裏金でも作っててもらった方が平和なのかも知れない。
とにかく、国というものが判然としない中で、国のために働けなどというのは、目的地が分からないのに目的地へ向かえ、というのと同じようなものだ。
ウェーバーは国民を「国民化」することを目指した。そして、今や多くの先進国で国民化は衰えている。国民化がちゃんと出来ている国など、イスラエル、ウクライナ、北朝鮮、くらいかと予想する。
はたして外圧抜きで国民化教育など可能なのだろうか。