わたしは新潮で読んだ。
単行本のリンクも貼ってみたが、この表紙のビルは小説のイメージと全く違う。これで良いのだろうか?
九段氏の作品で過去に読んだものを以下に貼る。
第166回芥川賞候補作 九段理江「Schoolgirl」 を読んだ - 文学・文具・文化 趣味に死す!
九段理江 悪い音楽 を読んだ - 文学・文具・文化 趣味に死す!
氏の作品は面白い。それだけに、読む前から期待があった。どの作品も登場人物が明らかに病んでいる。世間になじめない形で病んでいる。
今回の作品の主人公も病んでいて、最初数頁は永遠に独白を聞かされるのかと思ってうんざりしながら読んだのであるが、進むにつれて話が立体的になり、読み終えてしまうのが勿体ないくらい、最後まで味わって読んだ。
ネタバレ有り。
しかし、この作品の場合、ネタバレしたからといってつまらなくなることはないだろう。しかし、読もうと思っている人は先入観が邪魔するとつまらないので、わたしの書評は後から読んだ方が良い。
本作はちょっとしたSFである。
本作で描かれる東京は近未来で、ザハ・ハディッドの国立競技場が建てられている。その競技場は非常に美しい建築として扱われている。
主人公は建築家の女性。シンパシータワートーキョーの設計をする。この建物も非常に美しい建物として描かれている。
シンパシータワートーキョーとは、刑務所である。しかし、近未来の東京では犯罪者をホモ・ミゼラビリスと呼ぶ。哀れむべき人といった意味だ。逆に犯罪者ではない人は、ホモ・フェリシタトスと呼ぶ。幸福な人、といった意味。
犯罪者は性根が腐っているから罪を犯すのではなく、罪を犯さざるをえない環境が罪を犯させているのだから、同情するべきだという理屈である。
ゆえに、シンパシータワートーキョーは新宿のど真ん中に建ち、超豪華設備が整っていて、ホモ・ミゼラビリスの皆さんが幸福に暮らせる場所となっている。図書館もついている。
本作品は四人の登場人物からなり立っている。一人は主人公の女性建築家。アラフォー。その名も牧名沙羅。国立競技場のザハ案に反対した筆頭が槇文彦であるから、なにか勘ぐってしまう。彼女は建築的な視点だけでなく、言語的な思索も行う。
二人目はホモ・ミゼラビリスの概念を作った社会学者マサキ・セト。マサキ・セトの著作という形で、おもにミゼラビリスの説明をするために使われている。話には直接関わってこない。
三人目はタクト。超イケメンで牧名沙羅の若い恋人であるが、実は母親がホモ・ミゼラビリスという設定。
四人目はマックス・クラインというアメリカ人ジャーナリスト。海外の視点から日本のシンパシータワートーキョーを論じるという設定。
本作は意欲作である。まず、多様性、共感性、寛容性などの表現として、ホモ・ミゼラビリスの概念が出て来て、それに、建築という目に見える社会構造をからめる。さらに、その建物に対して、シンパシータワートーキョーと呼ぶか、東京都同情塔と呼ぶか、などの言語的感覚がまぶされる。
東京同情塔ではだめなのだ。東京都同情塔だからいい。
おまけに昨今流行のチャットGPTのようなものが出て来て、言語感覚を狂わす。
さらに、ママ活も加わって、盛り込みすぎの感は否めない。
結末はよくわからなかったが、非常にまとまっている作品で読みやすい。ただ、あまりにまとまっているので、作品が作品の中で閉じてしまっている。タワーだけに、タワゴト、で片付けられる恐れがある。
ただ、ザハの国立競技場が出来ていたら、という平行世界の延長を覗いたようで、わたしとしては非常に楽しめた。