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民主主義が終わる構造的、または現実的な背景 そして次の政治形態

公務員はパブリックサーバントである。日本語では公僕と呼ぶ。「僕」はしもべである。使用人である。公僕はパブリックサーバントの直訳である。

 

では、国民のシモベだと認識している公務員はいるだろうか。いない。国の高級官僚だけではなく、都道府県市町村の地方公務員でさえ、そのような意識は皆無である。

 

昔の官僚は国民のシモベではなくアルジだと自認していたきらいがある。最近の官僚は国民のアルジであるという認識はないようだが、国民を単なる搾取の対象だと思っている。いかにアホな国民から搾取して自らの地位と収入を守ろうか苦心している。地方公務員では、搾取はお国に任せて、事勿れ原理主義者の集団である。いずれも没落する国家の中で、自分だけは良い思いをしたいという思想である。

 

しかし、私は官僚に志がないからといってそれを咎めまい。そもそも、近代民主国家において官僚に志はいらないのである。シモベの志はアルジに使えること以外必要ない、いや、あってはいけないのである。

 

故に、民主国家においては、民主的に選ばれた政治家が高い志を持って国民のために働く必要がある。官僚は現実的には政治家に仕えるシモベなのである。

 

しかし、現実には官僚は政治家を馬鹿にしきっている。官僚は政治家を自分の権益を確保するための操り人形か、さもなければ邪魔な障害物程度にしか思っていない。

 

そして、これは構造的な問題であるのだが、政治家は政治家同士で争う。その争いの方法に、権限の不正利用を指摘する。権限の不正利用とは影響力のようなものも含む。伊藤博文岸田文雄では圧倒的に伊藤の方が権限も影響力も大きいことがわかるだろう。岸田などは伊藤の百分の一ほどの政治力も持ち合わせないのではないだろうか。

 

政治機構は時間と共に制度化が進み、前例が積み重ねられる。制度と前例を操るのが官僚であり、制度を逸脱した影響力を糾弾するのが政治闘争である。

 

民主党のブーメランではないが、制度外の影響力行使を糾弾した政敵は、敵の権限だけではなく、自らの権限も制限する結果となる。これを繰り返していくうちに、政治家の力は衰退していく。そのことを国民は危惧するどころか歓迎する。すると、高い志を持つような政治家は現れにくくなる。

 

そもそも党勢拡大のために舌先三寸の輩ばかりを公認する政党に志のある政治家など存在しない。志のある人間からは見向きもされない。

 

このままだと、行き着くところまで行き着いて、今の形の民主主義は終了するだろう。では、終了後の社会はどのような形になるか。

 

一番想像しやすいのは、戦争でも起きて軍事クーデターが起きて軍事政権になる。軍事政権などというと国民はゾッとするかもしれないが、日本の歴史において、今の議員内閣制以外、大化の改新から明治維新まで全て軍事力を伴った権力奪取である。

 

もう一つ考えられるのが、地方に権限を丸投げしてしまう方法である。3万人から10万人くらいの集団で、顔の見える民主主義を行う。昔の藩のような連合国である。そうなると、日本人としてアイデンティティは消え、宇都宮人、松戸人、博多人、浜松人とかそういう枠組みとなる。

 

たぶん軍事政権が誕生する。