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小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

戦争について

ウクライナでドンパチが始まった。

さて、日本の9条で本当に平和が保たれるのであろうか。

 

わたしは、9条は文言と現実が乖離しているので、その乖離をなくすべきだ、と思っていた。

 

具体的には、自衛隊の存在を認めるなら、陸海空の戦力の保持を認める。

戦力の保持を認めないなら、自衛隊は解散すべき。

 

この二択である。つまり、国家は憲法通りにあらねばならない、という立場だった。

 

しかし、コロナ騒動や、ウクライナのドンパチを見ていて、憲法の意味というものを考えた。

 

憲法は国民の安寧のためにある。たとえば、9条は日本国と諸外国の平和のためにある(少なくとも建前は)わけである。目的は平和の実現である。

 

この目的を実現するため、憲法の文言がどうあるべきか、というのが重要なのではないだろうか。

 

仮に、

■日本の自衛のために自衛隊の存在を憲法に明記したところで、ドンパチを初めてしまったら意味が無い。

■戦力の保持を認めずに自衛隊を解散しても、どこも攻めてくる国がなければそれでいい。

この理屈で行くと、

憲法と現実との間が乖離していたとしても、平和が実現出来るのであればそれでいい。

 

となる。

 

しかも、憲法にどれだけしっかり書いたところで、それを守るのが人間なのだから、正しく書かれたとおり、憲法意志のとおりに行動するとは到底思えないのだ。

 

実際に、解釈改憲、解釈護憲が横行している昨今である。

 

どんなに早いスーパーカーでも運転手がど素人では碌なタイムは出ない。最高の食材でも味覚音痴が料理したら食えたものではない。

 

あまりにも当たり前すぎて言うのも馬鹿馬鹿しいが、政治家と官僚にまともな人間を選ぶ。国民が、もう少し真剣にまともな人間を選ぶようにならないと、この国の未来はないのではないか。

 

日本国だけでなく、世界に言えることだ。他国の国民も、もう少し真面目に指導者を選ぶべきである。プーチン習近平が立派だというつもりはない。ただ、アメリカ、ヨーロッパ、我が国の指導者たちはちょっとレベルが低すぎないだろうか。他国の政治家を詳しく知っているわけではない。我が国に於いては与党だけでなく、野党がさらに終わっている。これは悲劇だ。

 

というのも、ウクライナの大統領が股間でピアノを弾いているのを見て痛感した次第である。