文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

アフターワクチン 第10回 その4

 

 どうせ弟は傷薬も絆創膏も持っていないだろう。持っていたとしても、どこにしまってあるか見当もつかないので、僕はタクシーを降りると、由奈に鍵を渡して、近所のドラッグストアで買って帰った。
「ごめん、傷薬まで買ってもらっちゃって」
「いいよ。どうせ使うもんだし」
 由奈は傷口に泡を吹きかける。この泡が効くんだよね、などと呟いていた。スカートに傷薬がつかないように、太ももまでたくし上げていた。あらわになった素足をじろじろと見るものではないので、僕はさっきのデモがニュースになっていなかネットを探す。速報という形で、警官隊とデモ隊が衝突。催涙弾を使用。双方に負傷者。と出ている。さすがに無視できるレベルではない。SNSでも取り上げられていた。
 デモの映像を見ると、あのときの音、振動、空気の匂い、熱、そういうものが次々と呼び起こされる。いままで、いろいろな国で起きていたデモや暴動を見ても、全く感じることがなかったが、その場に自分がいたという記憶が、映像から感覚を呼び覚ましていた。
「ありがと。たすかったよ」
 治療を終えた由奈から、傷薬と絆創膏の箱を渡される。
 机の上に置いてあるレターケースにしまおうと、引き出しをあけると、そこに全く同じ傷薬が入っていた。
「あれ、あった」
 ふふふ、と由奈が笑っていた。
 引き出しのなかの傷薬を振ってみると、中身もほぼ満タン。
「これ、やるよ」
「大丈夫。うちにもあるから」
 弟の引き出しは、傷薬が二つになってしまった。
 由奈は僕が出しっ放しにしていた習字道具を指し、
「習字の練習?」
 習字の練習は重言ではないだろうか、などと考えつつ、
「そう」
「この前来たときとなんか違うと思った。墨の香り。落ち着くね」
 膠の腐臭を紛らわすため、墨には龍脳などの香料が練り込まれている。
 やらない人からしてみると、そうなのかも知れない。僕はこの匂いになれてしまっていて、気にしたことがなかった。
「ほら、さっきのデモ、早速動画上がってるぜ」
 由奈も自分のスマホを使って検索を始めた。
 次々と他の動画も上がっていて、最前線では警官隊に袋だたきにあっているものもいた。デモ隊も負けていない。石を投げる者、つかみかかる者、しかし、警官隊の戦力の前に総崩れだ。
「わたしの怪我なんかかすり傷」
 スマホを握る由奈の手は震えていた。
 僕たちはあの場所にいたから現実感があるけれど、いなかった人たちが見たら、これ日本? と首をかしげるだろう。警官隊に制圧される絵は、オーストラリアやイタリアの反グリーンパス暴動と同じだった。ちょっと前の香港の騒乱と同じだった。
 八時過ぎに僕たちは飯を食いに出た。一昨日と違って、ファミレスも開いていたが、緊急事態宣言が開けた街は歪んで見えた。灰色に見えた。緊急事態の方が僕たちにとっては自然で、緊急事態が終わるということは、新しいなにかが始まるということ。
 一昨日と同じ店に入って、同じようなものを飲み食いした。明日、仕事がないからと由奈は三杯目も豪快に飲み干した。
「裕二、喋んなくてよかったよ。ぜったい公安にマークされた。もう会社もクビかも」
 ハハハ、と酒の勢いで彼女は笑っていた。
「あのときさ、由奈、おれの未来の話信じるって言ってたじゃん。ほんとに信じてるの?」
「うん。信じてるよ」
「どうして?」
「だってアンタ、裕二じゃないでしょ?」

 

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意外と大長編になってきちゃった感じ。

新人賞や文学賞用の小説だと規定枚数があるので、それに併せるが、この小説は誰にも規定されない。

終わらせたいところで終わらせられるし、命がある限り続けることも可能。

枚数は気にせず、筆の赴くまま書く。

プロットは現在膨張中である。