「おつかれ。すごいね。感動した」
戻ってきた由奈をねぎらう。
「また、適当なこと言って」
「いや、本当。動画も撮ったよ。観る?」
「やだ。消して。それより、裕二も喋れば?」
「おれはあんな上手く話せないし、それに、おれの未来の話なんか誰も信じないだろ」
「そんなことない。わたしは信じてるよ」
突如、ステージではなく、後方の群衆からどよめきが上がった。大きな地震が起きる直前のような、緊張感が広がり、急に辺りが静まる。
次の瞬間、怒声が上がり、その怒声は波のように群衆をのみ込んだ。後方で、警官隊ともみ合いになっている。
怒声はさらに高まる。群衆の移動が始まり、僕たちも押されるようにして警官隊の方へ近づく。公園が怒りに包まれていた。周りの空気が震えるほど、人々の声は鳴り響き、地面を踏む砂利も響く。砂埃が上がり、視界が悪くなる。
人間の濁流に呑み込まれないように、僕は由奈の腕を掴んだ。由奈も僕の腕にしがみつく。ちょっと気を抜いたら、僕たちは別々の所へ流されてしまいそうだった。何かが飛んで来て、近くで人々が倒れた。びゅん、と不穏な響きとともに、何かが飛んでくる。
僕たちは慌てて身をかがめる。
煙が上がった。煙が、次々と群衆の中から上がる。むせ返る、目が痛い、目の奥からの刺激、目玉が飛び出してしまいそう、痺れ、……催涙弾が撃ち込まれた。僕たちは半ばパニック状態で、デタラメに駆け回る人々にぶつかりながら、後方へ逃げる。由奈が激しく転倒した。が、ゆっくり起こしている余裕などなく、僕は力任せに握った腕を引っ張って立たせる。そして駆ける。
がむしゃらに走った。周りのみんなも走っている。息が上がってくる。何百メートル走っただろうか。
電柱をに目をやると、渋谷区、と書かれていた。
振り返って、もう恐怖が追いかけてこないことを確認すると、なんだか笑いが漏れてきた。僕たちと逃げていた他の人たちとも目が合って、一緒に笑ってしまった。
「大丈夫か?」
由奈は右膝を擦りむいて血を流していた。
「大丈夫。こんな怪我、中学生以来かも」
由奈は持っていたペットボトルの水を傷口にかけ、汚れを取り除く。染みるのだろう、顔を顰めていた。
休むのもつかの間、後ろの方で誰かが叫んでいる。
逃げろ! 逮捕されるっ! 逃げろ! 全員逮捕する気だ! 早くっ! 逃げろっ!
僕たちデモ参加者は、渋谷の住宅街を、なるべく固まらないように、別々の方向へ分かれていく。
僕と由奈も、十五分ほど歩いたら、もう二人だけになっていて、デモの面影はなくなっていた。気がつくと、由奈が作ってくれたプラカードも、どこかでなくしていた。
大通りに出たところで、ちょうど流していたタクシーを拾った。
運転手に行き先を聞かれたので、
「由奈、南千住でよかったっけ?」
「……あ、裕二んち、寄ったらダメかな」
「別にいいけど」
僕は運転手に湯島駅と告げた。
「なんかさ、さっきまでテンション上がってて、全然平気だったんだけど、みんないなくなって、二人だけになって、遠ざかって、タクシーに座ったらさ、急に怖くなってきちゃった」
「うん。これ洒落じゃない」
自分たちが歴史の一コマに絡んでいる感覚に、僕も足がすくんでいた。
車窓から眺める東京は、デモがあったことなど嘘のように穏やかで、外堀跡と神田川沿いに走る景色は、休日の平和な東京以外のなにものでもなかった。
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ツイッターの方では文庫ページメーカーでUPしてる。
100ページ達成!祝!祝
ページあたりの文字数を設定できるので、文章が多いときは文字小さめ、少ないときは文字大きめ、などで一日4ページ乃至8ページ更新してきた。
わたしらしくもなく、毎日コツコツ書いている。
この連載の間でも、ワクチンへの不信は間違いなく広がってきた。でも、ワクチンパスポートの準備も進んでいる。
いったい世界はどうなってしまったのだろうか?