スーツは斯く着るべしはゆっくりではあるが書きためている。次はスーツの項を載せるか靴を載せるか迷っていて、でも、まだどっちもまとまらないのであるが。
その他の部分をちまちま書き直したり、書き加えたりもしていて、ネクタイの長さを書くのを忘れていたので追記した。
さてさて、いつ完成するやら。いや、このサイト、ブログなどと同じで、完成というものはないのではなかろうか。
ネクタイの長さについて
ネクタイの長さはどうするか。多くの教科書には大剣の先がベルトにかかる程度、と書かれている。だが、トラウザーズの股上の深さは様々である。腰骨のあたりまでしかない浅いもの。へそにかかるほど深いもの。股上の深さに合わせてネクタイの長さを調整するのだろうか。あり得ない。そもそも、ベルトにかかる程度というのは、ジレなしでジャケットのフロントを開けている場合の話ではなかろうか。
ネクタイが思想であり表現であるならば、もっと自由でなければならない。ネクタイには個性がある。長さ、厚さ、太さ、柔らかさ、etc.
ウィンザー公の有名な写真の一枚。玄関であろうか、足下には白い菊が鉢植えされている。紺のウィンドー・ペンのスーツにグレーのシャツ。フロントボタンを外してポケットに手を突っ込んでいるウィンザー公が映っている。この公のネクタイは短い。おそらく薄手のネクタイだ。トラウザーズも股上が深いものをはいているが、もし、ベルトにかかるくらいの長さで結となると、ノットのボリュームを出すことが出来ない。
ノットのボリュームと長さ、どちらを優先するか。ノットのボリュームを優先する。なぜなら、フロントボタンを留めていればネクタイの短さは気にならない。むしろ、長い方が問題で、フロントカットの裾からべろーんと出ているネクタイ。あれはみっともない。
ネクタイが長かったり、身長が低かったりすると、大剣よりも小剣が長くなることがある。あまりに長すぎる場合、わたしはトラウザーズの中に入れる。五センチくらい長いだけなら、そのままにしている。
ポケットチーフにも共通することであるが、ネクタイやチーフは決めすぎないことが重要だ。どこか崩れている。ノットが歪んでいたり、小剣が長かったり、ディンプルがずれていたり。いかにも作り込みましたというのはダサイ。自然な表情が必要なのだ。なぜか。人体が自然のものであるからだと思う。人の顔はシンメトリーではないし、人の表情は変わる。そういった自然の産物に対し、ネクタイの表情もまた自然である方が、調和をもたらすと思う。逆に、マネキンに絞めるネクタイが曲がっていたりすると気になるのが、その証左ではなかろうか。