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小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

第170回芥川賞 ドンピシャ、当ててやったぜ!

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www3.nhk.or.jp

 

二回連続で当てた!

ダブル受賞のも入れれば、連続四回当てている。

 

ちなみに過去の戦績は、

169回 ドンピシャ。

168回 ダブル受賞で、ひとつは当てた。もう一つの作品は最下位を付けた。

167回 ドンピシャ。

166回 おもくそ外した

165回 ダブル受賞のうちひとつ当てた。不等号は、「貝に続く場所にて>水たまりで息をする>彼岸花が咲く島>氷柱の声>オーバーヒート」として、「貝に続く場所にて」と「彼岸花が咲く島」が受賞したのであるが、わたしは「受賞作なし」と予想した。

164回 普通に外した

163回 ダブル受賞のうちひとつ当てた

162回 外した

161回 候補作を読めなかった

160回 ダブル受賞でひとつ当てた

 

 

161回は候補作を読めなかったので、過去十回の戦績で、ダブル受賞もアタリにカウントすれば、

7勝3敗である!

勝率70%である!

 

芥川賞賭博をやっている方はわたしにアドバイス料を払うのを真剣に検討した方が良い。

 

第170回芥川賞大予想! 候補作全部読み!

今回もどうにか間に合った。発表が17日なのでギリギリである。

 

ではもう、いきなり受賞予想発表!

 

ずばり!

 

東京都同情塔

 

である。

不等号を付けると、

東京都同情塔>迷彩色の男>アイスネルワイゼン>猿の戴冠式>Blue

 

といった感じだろうか。

 

小説としての完成度の差が今回ほど明らかになっている回も珍しいのではないだろうか。

 

前回は「ハンチバック以下はどんぐりの背比」と書いた。ハンチバックは抜きんでていた。作品のクオリティというよりも、勢いが抜けていたのだ。パワーが抜けていたのだ。他の作品が自動車だとしたら、ハンチバックは飛行機だったのだ。

 

今回は違う。東京都同情塔がクラウン(新型クラウンは好きではないが)だとしたら他の作品はカローラや軽自動車である。(カローラクロスとか、もはやどこがカローラなのか意味不明だ。いわゆる昔のカローラや安かった頃の軽自動車を連想して欲しい)

 

作品自体にそれほどパンチがあるわけではないのであるが、その他のと比べて、シナリオ、場面転換、表現、ネタ、構成、などが調っている。文学としてどうかといわれると、ちょっと微妙であるが、そのあたりは他の作品も微妙である。

 

詳しい評はリンク先をご覧いただきたい。一言ずつコメントを書こう。

 

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上記の通り、クオリティが一番高かった。

 

 

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今回二位に付けた。LGBTネタには食傷であるが、それでもまだ訴求効果はあると思う。冒頭に死体を転がせ、はミステリーの常套手段であるが、本作も上手く転がしたと思う。

今回の候補者中唯一の男性である。そろそろ芥川賞にもアファーマティブアクションが必要なのでは? このままでは男性の書き手が居なくなってしまう。そういうバランスも加味して二位にした。文学は男女差がもろに出る。あまり男を迫害するものではない。

 

 

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ラノベ的で読みやすい。三位にした。ラノベ読者層が文学に移る切っ掛けにもなるだろう。ただ、あまりにも苦悩がしょぼい。はっきり言って、現代人はさほどの苦労はない。苦労がないことが苦悩である、みたいな言い方すらある。それが文学になっていた時代もある。しかし最近、二カ所で戦争は始まるわ、能登で災害が起こるわ、で個人の個人的苦悩に共感が得られるかといえば、みんな敢えて共感しないという選択を取るのではなかろうか。たとえ、自分も同じ個人的苦悩を抱えていたとしても。

 

 

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さて、この作品は難しかった。正直読み切れた、という自負はない。審査員がこの作品をどう読むか気になるところである。幻想小説でもない。妄想小説なのである。その妄想が面白いかといわれると、やはりこれも苦悩がしょぼいとなってしまう。

 

 

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つまらなくはないが、小説としてクオリティが低い。もう少しブラッシュアップしないと芥川賞は難しいのではなかろうか。

 

発表は17日。わたしも楽しみにしている。

第170回芥川賞候補作 小砂川チト「猿の戴冠式」を読んだ。感想。レビュー。

 

 

 

わたしは群像で読んだ。

 

小砂川氏は第167回にもノミネートされている。家庭用安心坑夫はなかなか面白かった。

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ぶっちゃけ、前回の方が何倍も面白かった。

 

猿の戴冠式は難しい。私が読めていないせいかも知れないが無駄に難しいと感じてしまった。

 

最初はシネノという動物園の猿の視点で語られる物語だと思った。シネノは動物園に毎日来る女性、しふみと出会う。

 

しかし、蓋を開けてみれば、しふみが勝手にシネノの中に入り込んで妄想していただけという。

 

はたして、このギミックは効果的と言えるのだろうか?

 

後半、もうそのギミックがばれているにもかかわらず、しふみは妄想をやめない。挙げ句、映画監督のようになってシネノを動かす。

 

一体何を読まされているのか訳が分からない。

 

主人公のしふみは競歩の選手らしいが、大会中にチョンボをやって、ネットでバッシングをされ続けている。

 

この作品もアイスネルワイゼンと同じく、独身女性の苦悩にカテゴライズされる。そんなことを言えば、東京都同情塔もそうなのであるが、苦悩の次元が違うのである。

 

この作品も、アイスネルワイゼンも、苦悩の起因がセルフイメージに対するものなのだ。エゴ故の苦悩なのである。はっきり言って一個人のエゴや見栄など、いまさら文学として表現しうるものなのだろうか? 

 

エゴや見栄でも、それが社会問題や政治や哲学、美学、心理、宗教、などと絡んでいればともかく、徹頭徹尾一個人のエゴ、自己中心的エゴなのだ。それとも、現代は徹頭徹尾一個人のエゴが問題となる時代なのだろうか?

 

難しい、難解、なのは悪いことではないが、簡単なことを難解にする意味があるのだろうか。一体主人公はなぜ猿(ボノボであるが)とリンクしなければならなかったのか。わたしが読み切れていないだけだろうか。

 

ただ、文章が上手いので、文章の上手さだけがいやに目立つのだ。