文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

我々は夢を失ってしまったのではないか

最近Youtubeとかでも観ると思うのだが、睡眠は何のためにあるのか、という問題。

 

睡眠は能を休ませるとか、記憶の定着、とか言われていたが、近年の研究で能を持たない生物も睡眠することが分かった。

 

そこで言われているのが、生物は実は睡眠状態がデフォルトであり、覚醒がオプションなのではないかということ。生存競争で覚醒を手に入れ進化させた個体が優位に生き残ったに過ぎず、いつしか覚醒がデフォルトだと思い込んでしまっているのではなかろうか。

 

現在我々は覚醒こそがメインであり、睡眠がオプションだと考えている。故に、覚醒状態のために、いかに効率よく睡眠を取るか、と覚醒に従属した形で睡眠を考えている。

 

しかし、睡眠を主として覚醒を従とするなら、睡眠のために、いかに効率よく覚醒するか、という話になる。

 

さておき、

 

もし、睡眠状態こそ我々の本質であり、デフォルトであり、メインであるならば、我々は覚醒状態というオプションで何かをなし得ようとしたところで空しいことなのではなかろうか。

 

あるRPGがあったとして、メインストーリーのおまけのミニゲームで頑張っているようなものではないか。

 

我々が覚醒状態において思考する現実から確かな満足、確かな手応え、生きる意味、価値、そういう物を見いだせないでいるのは、そもそも覚醒状態が生命という本質のミニゲームに過ぎないからではないだろうか。

 

そこで、人はなぜ夢を見るのか?

 

睡眠状態が我々の本質とするならば、夢こそが我々の実態であり現実であると考えられる。本来の夢は至福であり恍惚であり満ち足りたものであったのではないかと考えられる。

 

しかし、我々は覚醒を覚えたことにより、夢にノイズが混じるようになった。いまでも、夢の中では知らない場所、知らない人間、経験したことのない様々な現象を観ることが出来るが、多くの場合覚醒時の延長のような知人が混ざってみたり、仕事の話であったりと、ノイズに邪魔をされてしまう。

 

本来の夢、本来の現実とは覚醒時の記憶の混ざらないものであり、今の我々が最早失ってしまった、それこそ、この世の真実であるもの、ではないかと夢想してみた。