政治家はロクなことをしない。周知の事実である。
特に最近しでかしたロクでもないことは、自転車ヘルメットの努力義務である。努力義務はそうする必要が全くないにもかかわらず、ロクでもない市民が頭にヘンテコなものをかぶり始めた。
おかげで、私がいつも通り素頭でチャリンコに乗っていたら、それを見とがめクレームを入れたキチガイがいる。
政治家がロクなことをしない理由の一つに、人民がロクでもないことばかり要求するという原因がある。
多くの人民は、新しい道路が敷かれること、新しい建物が建つこと、新しいルールが出来ることを良いことだと頭から信じ込んでいる。妙ちくりんなワクチンを打ちたがる人民。新しい道路が出来た所で、大して時間の節約にもならないのに、良いことだと喜ぶ。人間が堕落するに過ぎない社会保障を文明的だ先進的だと喜ぶ。だから、政治家は人民にワクチンを投与する。道路を作ろうとする。社会保障を作ろうとする。
私が理想とする政治家は余計なことをしない政治家である。下らないルールを作るくらいだったら、議場ですやすや寝ていてくれる方が余程良い。一つ一つ、ルールを破壊してくれる政治家がいたら諸手を挙げて応援しようではないか。まずは手始めにチャリンコのヘルメット努力義務、とか言う訳の分からぬルールを撤廃して欲しい。
チャリンコヘルメットについては過剰忖度社会という概念を作ったので別の機会に詳述したい。過剰忖度もやはり社会保障が関係しているのである。
社会保障で人間がどれだけ堕落したか。筆舌に尽くしがたい。生きる真剣さが人々から失われた。病気や怪我をしても健康保険がある。働かなくても生活保護がある。年老いた親は介護保険で特養にぶちこめばいい。
現代人は自分のことしか考えない。当たり前である。セーフティーネットがあるのになぜ他人の心配をする?
正確には、現代人は自分のことすら考えないのではないか? 考えるとしてもセーフティーネット以外のことだ。より金持ちに、より有名に、より幸福に、まるで空想の世界に生きているようではないか。現実世界のことはセーフティーネットにお任せである。
唯一人間が人間らしくいられるのは、死があるからである。どんなセーフティーネットを以てしても死を回避することは出来ない。
故に逆説的ではあるが、人間が死を克服したとき。死すらセーフティネットによって受け止める必要がなくなったとき、人間は本当の意味に於いて死ぬであろう。
現在はまさに死の一歩手前である。