文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

社畜というより家畜である マスクは偽善、欺瞞、保身、敗北の象徴

わたしは捻くれているから、コロナ過で言われていた、曰く

「日本人は強制されずとも自ずから自粛し社会の安寧を保つ」

 

とか、

 

3.11の時に言われていた、

「略奪、強盗、一切起こらず、整然と配給所に並び黙々と辛苦を耐える」

 

という美談にどこか腑に落ちないものを感じてしまうのだ。

 

この調子でいくと、かりに中国軍に占領されても、抵抗や反発などしないのではなかろうか。「中国軍司令官をして、感嘆せしめる」立派な国民性を示すような気がしてならない。

 

はたして、それは良いのだろうか?

 

滅私奉公という美徳があるが、換言すれば社畜である。

 

滅私奉公には私を滅するという強い意志のようなものが感じられ、矛盾のようにも思える。滅私奉公が積極的隷属であるのに対し、社畜は消極的隷属とでも呼ぼうか。ただ、端から見たら両者は同じように映る。

 

日本人が自粛を積極的にやっているのか消極的にやっているのかは知らないが、自粛したことは確かである。ちなみにわたしは同調圧力に屈してしかたなく自粛していた。嫌だなとおもいながらも仕方なく今日もマスクをつけている。

 

会社の言いなりになるのが社畜だとしたら、国家の言いなりになるのは文字通り家畜である。

 

立派な国民に対して家畜は失礼だろうか? お国のために滅私奉公、自粛をしています、といった方がいいのだろうか。

 

日本人は立派なのかも知れないが、日本人であるわたしは立派なのだろうか。ただただ、同調圧力に敗北し続けているに過ぎない。そんな人間が立派であるはずがないのだ。

 

マスクをつけるたびに、わたしは上記のことを思ってしまう。マスクは息が苦しいのではない。心が苦しいのである。