県民の熱意が政治を動かした 元山さんのハンストで事態急展開 辺野古県民投票 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
自民党国会議員の政策秘書がツイッターでこの問題に触れて炎上している。
ハンストとかデモとかはあまり触れるつもりはなかったのであるが、今回は上記の記事のようにハンストによって県議会の動きが変わったと言うことなのでちょっと考察。
ハンストがテロかどうか話題になっているがわたしはテロではないと思う。
最近、ヘイトとか、ハラスメントとかどんどん拡大解釈されてきているので、そのうちハンストもテロに分類される日が来るのかも知れないが。
相手の意見を変えるために自殺する、という手段は太古の昔から取られている。
あんまりポピュラーな言葉ではないが、「諫死(かんし)」という言葉がある。
文字通り、諫めるために死ぬ、という意味。広辞苑では「死んでいさめること。また、死を覚悟していさめること。」となっている。
殿をお諫めするために切腹してもテロにはあたらないだろう。
民主主義的決定をハンストで覆すのは民主主義に反する、という意見も多数見かけたが、そもそも民主主義的決定というのは不確実なものであり、暫定的なものであり、オーバーライトされつづけるものである。
プロパガンダという言葉はあまりいい意味に使われることがないが、プロパガンダなき民主主義、などというものはあり得ない。
パフォーマンスはプロパガンダの一種でありハンストというパフォーマンスが社会通念上許されるかどうかが今回の問題点だと思う。わたしは許されると思う。しかも、医者がついて安全に配慮しながら行っているので、それほど刺激的なものだとも思えない。
では、許されないプロパガンダはどういうものかというと、例えば、辺野古建設に世論を傾けるため、北朝鮮にお願いして与那国島あたりに核をぶっ放してもらう、なんてやったらやり過ぎだろう。
さて、前置きがべらぼうに長くなってしまったが、わたしが今回注目しているのは、このハンストによって、賛成、反対の他に第三の選択肢、
「どちらでもない」が加わったことである。
はっきり言って、こんな選択肢が加わるくらいなら五市が住民投票をやらない方が良かったのではないか。
沖縄の事情にそれほど詳しいわけではないが、こんな選択肢が加わったら、
「どちらでもない」
が一番多くなるに決まってるだろうが。
で、おそらく投票に行かなかった人は「どちらでもない」と解釈されるので、結局辺野古移設賛成か反対かは「どちらでもない」で終わってしまう。
悪いことは言わない。どちらでもないを削るためにもう一回ハンストである。