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三島由紀夫 最後の言葉 テープ起こし

 

三島由紀夫 最後の言葉 [新潮CD] (新潮CD 講演)

三島由紀夫 最後の言葉 [新潮CD] (新潮CD 講演)

 

 

三島由紀夫近代文学研究家の古林尚との対談である。三島由紀夫が自決する一週間前に録られたものだという。

 

内容は三島が文学から政治から哲学から死生観に至るまで、縦横に語りまくる。三島の思想というのが全く古くないということがよくわかるインタビューだ。また、文字からだけでは伝わらないニュアンス、人柄も伝わってくる。youtubeにあるので是非聞いて欲しい。

 

三島由紀夫の声(最後の対談 前半) - YouTube

 

で、あまりに素晴らしいのでテキストで読みたいと思って探した。この広いweb、どこかで誰かがテキストを公開しているはずである。

 

果たしてあった。あったのだが、A面だけなのだ。

三島由紀夫最後の言葉① | 猫木国学は穿った虎

 

ならば、わたしがB面をやってやろうではないか、と毎日少しずつであるが、こつこつ文字起こしを続けてようやく完成した。

 

聞き取れないところは○○とした。だれか分かったらコメント欄にでも書き込んで下さい。

 

三島由紀夫の声(最後の対談 後半) - YouTube

 

B面

三島:到達可能なものがつまり行動である。っていうふうに考えるとね、文武両道というものは簡単に割り切れちゃう。到達可能なものとあなたが仰る死ですよね。けしからん。だけど、芸術って言うのは死が最高理念じゃないですよ。芸術って言うのは、おそらく、そう思う。ですから、とにかく、生きて生きて生き延びなければ、完成もしなければ洗練もされない。でも、行動って言うのは18才で死んだっていいんだからね。完成しちゃう。その間に生きて歳をとって、苦痛そのもので体が二つに引き裂かれるようだけれど、そうしなきゃ、ぼくは芸術家である気概なんてない、思うようになってますね。それは今書いている豊饒の海のモチーフでね、つまり、豊饒の海って言うのは、絶対的○○的(俯瞰的?)人生って言うのを一人一人が送っていくんですね。○○、第一巻、第二巻、第三巻、第四巻って。それは最終的には唯識論者○○の大きな相対意識の中にたたき込まれてしまって、それはいずれニルバーナん中に入ってしまうでしょ。

古林:それは、あれですか。あの小説で生まれ変わりの物語のような様式を取られたということは、相対主義的なものをこうずっと描いていく?

三島:そうでなくてね。絶対主義的なものを描いてきて、それが結果としてですね、最高の相対性って言うのはぼくは唯識だと思うんですね。そのなかに溶かし込まれてしまうんですね。だから、唯識と言わず仏教って言うのはね、色即是空空即是色ですからね。帰ってきちゃうんですよね。必ず。決して色即是空だけでなくて必ず空即是色になる。帰ってきちゃって、ほんと大乗仏教必ず帰ってきちゃうんですよ。で、帰ってきちゃったものはグルグル回っちゃってしょうが無いんですね。ですけども、仏教ってそういうもんでしょ。これはね、例えば、ある行動理念でまっしぐらにぶつかっていく人間にはこんなもの邪魔ですからね。だから、その日本では行動哲学と仏教との唯一の協和点ってので禅を生み出したんでしょうね。禅は一種の異端ですけどね。禅しかないと思ったんでしょうね。○○なる仏教は全部そういうものを行動理念の先に立ちはだかって曖昧に溶かし込むでしょ。

古林:あの小説はまだ終わってない小説についてとやかく言うのはおかしなことなんですけれども、一つ一つが面白いのに、生まれ変わり物語的な結びつけを作者が非常に無理にやっているのではないかというような印象を読む方が受けるというのは、あれはああいう形を取らざるを得なかったのでしょうか。

三島:技術的な点はあるんですよ。っていうのは古林さん仰るとおり無理でしょうがね。そのむりは一つはこういうところから来たんです。つまり、クロンティア?の小説は古いと思ったんですよ。そしてね、お爺さんがどうした、お母さんがどうした、お父さんがどうした、お兄さんがどうした、わたしがどうした、子どもがどうした、もう19世紀から何度も何度もやってる、みんな飽き飽きしてる。それと、生まれ変わりを使えば時間がジャンプできる。だから、○○ジャンプ、ぽんぽん、ぽんぽん、ってやるのね。そのジャンプの技術を使おうと思ったのが一つとね。それから、だいたいあの、小説表としては裏側いったり、小説基本扱ってますからね、内輪話的になってしまうんですね。生まれ変わり哲学っていうのをもう一度ラトラジック?にこね返してるのが第三巻の全般なんです。ですから、第三巻の全般とても評判が悪くてね。

古林:ぼくもね、あれが気になった。つまりこれは大分無理をしてるなという。

三島:でも、あれは初めっからおれの頭にあったんですよね。それと、先のこと言うのもなんですけどね、あれをあそこで言っとかないと第四巻がわかんなくなっちゃう。第四巻にはなんの説明もなしにね、ぽつぽつエピソードが羅列されるんですよ。そして、第四巻の現象的に現れる第四巻というものは第三巻の全般が前提にならなきゃ展開できないんです。ぼくはしょうが無いから読者に目つぶってもらって、第三巻の全般でぎゅうぎゅうつまり自然的なことを聞いてもらって、○○○○って、第四回入ってからほんとのカタストロフまですっと行ってもらおうっていう気があった。ですから、第四巻の終わりまで読んで戴ければその意図が分かって頂けるんじゃないかと思うんですけれども。

古林:この対談そのものがね、戦後というようなことをぼくらは絶対と考えて生きてきたわけだけれども、その戦後近代的自我の再現だとか確立だとかいわれて、それが政治的な権利、それから、経済的な金融面、それから、今仰った福祉的な面、こういうもんでは、ある程度あの時点で考えてきたことは実現できたと思うんです。ところが、できてみると、こんなもんじゃなかったと、いうかたちで苦いもんが残ったわけですよね。だから、その戦後というのはいったい何だったかもう一度考え直してみようじゃないか、というのがこのシリーズの狙いだったわけです。だから、三島さんが仰ることはある意味では分かるんですけれどね、分かるんだけれども、そこちょっとこうなんていうか埋められない部分があるような気がするんですよね。

三島:ただ、これはぼくね、しょうがないことだと思います。それは、あたくしが無理に説明して埋めたってしょうが無い。論理で説得できる問題じゃないと思う。ぼくは全共闘との対話でもね、「君らが天皇陛下万歳と言ったら一緒に安田講堂閉じこもってやる」なんてこと言ったんですけどね。それは彼らが言わないことを知ってるからですね。言わないこと知ってると同時にね、ぼくあの彼らの直接民主主義って言う理念とね、錦旗革命の理念って言うのはまさに非常に近くに来てるってことを感じたからです。それがですね、北一輝にいきですね、あるいは村上清治にいまいききある風潮、ぼくはあの時点で非常によく感じたんです。そのね、オブラートの皮ね、それをどっちから破るかっていう問題ですね。ぼくが天皇陛下万歳を止めるか、向こうが天皇陛下万歳を叫ぶか、どっちかぎりぎりのいま地点に今きてるんですよ。

古林:そうすると、今の話をさらに発展させてなんですが、革命運動について、三島さんの考えをですね。あの、日本に革命が起きるというふうにお考えになりますか。

三島:ぼくはずっと考えてきたことはね、どうして日本に内発的な革命が起きないのか。明治維新だって黒船がなければ行われないでしょ。それから、こんどの敗戦がなければ土地改革だって行われなかったでしょうね。そして、それをやらなきゃならんことがもうほんと分かっていながら出来ないです、日本人は。内発的な革命が。それはね、天皇制があるからだろうか。っていうことを先ず考えたんですね。つぎにはこう考えたんです。内発的革命がないから天皇制が保たれてきたのではないだろうか。逆の思考ですよね。またその次こう考えた。天皇制があるからないんだろうか。あるいは内発的革命がないから天皇制があるんだろうか。ぼく、この問題はここに帰着すると思う。最終的には。そりゃ、鶏が先か卵が先かわらないですけどね。そこに帰着すると思います。

古林:内発的革命が起こらない。起こらない限りは日本に革命は実現しないということですね。さっき共産党を信用しないと仰ったことはそれとつながるわけですね。

三島:つながるわけです。彼らはね、あくまでもね、つまり、そういう日本の風土に於いてね、平和的な方法でね、漸進主義、あるいは修正主義、改良主義で持ってね、じわじわやればね、議会主義的方法によっていつかは政権が取れる。政権が取れないまでも、人民民主政府が出来ると思ってるでしょ。だけどね、そこに根本的な日本というものに対する認識の不足があるとぼくは見ているわけですよね。だから、全共闘の方がまだ日本という者を知ってるわいとぼくは思うんです。

古林:なるほど。そうすると、学生運動に対してはまだなにか期待されてる面もあるわけですか。

三島:ところがね。ぼくは死の問題に於いて期待しない。つまり、彼らがね、革命のために死ぬかどうかって問題をぼくはずうっと見てきたけどね、ついに革命のために死なないね。ぼくは明治維新の時はね、次々に人間が死んでるでしょ。それでね、ぼくはあの頃の人間は単細胞だから、あるいは貧乏だから、あるいは侍だから死んだんだっていう考え方が嫌いなんですね。どんな時代だって人間は命が惜しいです。それが、人間の姿ですよ。ぼく、そんな命の惜しくない人間がこの世の中あるとは思わないですね。だけどね、そこ突っ切ってやったかどうかっているそりゃ、あれじゃない、つまり、維新にしろ革命にしろ最終的な問題じゃないかと思うんだけどね。全共闘にはですね、やっぱり生命尊重主義、人命の価値が至上であるという戦後教育がしみ通ってますね。

古林:それは確かにそうですね。安田講堂のあの事件で、なにか三島さんもお書きになってたと思うんですが、あそこで死者が出るのではないか。

三島:そうです。ぼくもそういった。

古林:あたしも非常に気になって注意して見てたんです。そうしたら、あっさり降伏して出てきちゃったんですね。あっさり降伏したんだから、今度は敵の側、つまり、日本の現代の現体制の論理を承服して裁判受けるのかと思ったら、今度は、刑務所じゃなくて、留置所のなかで頑張っちゃって、裁判受けないって頑張ってるとかね。

三島:あれは、ぼくの一番理解しがたいところですよ。

古林:あの安田講堂で、降伏したのが先ず分からん。分からんけれども、あれはね、生命を大事にするという戦後教育の表れかな、というふうに思ったんです。だけど、屈服したんだから、あそこで、負けたんだと思ったら、今度は留置所でやんや裸になってまで頑張っちゃってね、裁判受けないっていってる。一体あれは無限にだらしがないみたいで、妙なところで頑張る。これが○○だと思いますね。

三島:まぁ、今の戦後の子どもの分からなさと近く通じますね。とにかく分からない。

古林:三島さんには一種の終末感の美学みたいな考え方があって、死は美に通ずると、つまり、自己否定が最高の至福に通ずるんだという、これはもう三島独特の美学なんですが、三島独特のといったけれども、ぼくらの世代にはなんとなくそれは、分かる、感情的(環境的?)に分かる発想なんでね。それは分かるんだけれども、そのことが、三島さんの原体験と結びつかなかいで架空の世界で論理として定着してしまうのがどうも。

三島:そう、仰るとおりです。ぼくはそれを一番怖れてるんです。それはね、もう、あの古林さんが仰ると同じことを怖れてる。つまり、原体験と接着しない論理がね、そんなものが宙に浮いたらもうこんな大嘘はないですよ。で、ぼく、そんな嘘がね、そういうことが嘘として通用するくらいなら、全共闘の方が立派だと思うくらいですよ。命は大事だって言っている方がね。それは、言行一致ですね。

古林:三島さんの作品でね、ひとはあんまり話題にしないのだけれども、ぼくは「若人よ蘇れ」がね、好きなんです。好きである理由は、三島さんの原体験とね、結びついた三島美学があそこにはある。他の作品にないようなものが出てきている。三島さんがあの作品で不用意に現した素顔かも知れないという気がしてるんですがね。

三島:ただね、あの芝居どころの一番のモチーフはね、恋人同士がこういうことでしたね。今までわたしたちはね、明後日どこどこの公園で会いましょうって言う時ね、それは分からなかった。どっちかが空襲で死ぬかも知れない。その公園がなくなっているかも知れなかった。それだから、わたしたちの恋愛って成就してたんだ。今からはね、戦争が済んだ。明後日、日比谷映画で会いましょう、ってちゃんと映画やってるの分かってる、もう恋愛はない、あそこですよ、書きたかったことは。あといろんな人物がね、群像として出てくるのはね、リアルなスケッチなんです。あの頃ほんとああいう男がいたんですよ。そして、あの、ぼくの寮の中にね、その○○なんてのもいたしね、片っぽじゃ資本論一生懸命読んで、一方じゃ○○ったやつもいる。ああいうのは全部スケッチで入ってますけども、ぼくがあのとき書きたかったのはそのことだけでした。つまり、デートしても会えない、会えるか会えないかってことね。

古林:あのね、三島流の美学に完全に乗せられてしまうんで、ぼくとしては日頃言っていることと食い違うんで癪なんだけれども、あれはわたしはね、非常に面白かったし感動して読んだ。ま、あれとね、それから、近代能楽集のなかの綾の鼓。鳴りもしない鼓を○だされて、鳴れば恋を叶えてやる、なんて言われて、こう懸命に鼓を鳴らそうとするという。

三島:それはまるでぼくが天皇陛下って言ってるのと同じじゃない。ハハハハ、全く同じじゃない。モチーフは同じだよ。

古林:ぼくはね、三島さんの作品ていうのはね、非常に好きでね、それでいてこれまで書いたものは三島さんの悪口ばかり書いてんだけど、政治の問題はね、三島さんがどう考えてるんだろうって、今日までよくわからなかった。ま、話を聞いてみて、これはまぁ肯定の方へ持ってきてもいいかなと。そうすると、政治、文学、人間思想というふうに分けると、思想の、とくに天皇制に関する問題についてだけが異論がある。これは平野謙流に言ったら、これは好きである、惚れた、と言ってもいいんじゃないか、○○。

三島:やっぱり、女でもみんな身を任しちゃうとね、嫌われますからね、つまり一カ所くらい棘を残しとかないと古林さんに飽きられちゃう。ハハハハ。なんでもおれの言うことを聞く女だと思われると困るから、棘はひとつだけ残して、あれは気丈があるっていうの残さないと駄目ですな。

古林:まぁ戦争中に、ちょうど(昭和)18年の10月から終戦まで、内地の部隊が主だったと、海軍にいましたから。その間、三島さんのものを読んでない。ただうちでずっと持続的にとってたものが残ってるわけです。

三島:あ、そうですか。なんですかそれは。

古林:文芸文化、残ったわけです。戦後読んだ。

三島:ぼくは蓮田さんって人は好きだな。こないだの小高根さんのあれもいい、ぼくはなんどか涙こぼれそうになってさ、あれ読んだら。ほんとにいいや。

古林:ただ、戦後ね、わたしの方は三島さんと違ってね、意識的にそっちと切断していこうと努力をした時期があるんですよね。

三島:そうでしょうね。

古林:それが、ぼくだけじゃなくて、ぼくらの自然にいた奴ってだいたい同じようなことを考えたはずなのに、三島さんにそれがなかった。つまり、三島さんに戦後がなかったという最初の質問に戻るわけですが、そこのところがやっぱり分からないんですね。

三島:でもね、それはね、やっぱり古林さん、分からないって仰っちゃいけないんじゃないでしょうか。つまりね、ぼくにもつまり切断しようとしたその気持ちが分からないんですよ。つまり、自分がね、10代までに考えたことがね、いかんと、いうことは自分に許さない、っていう偉そうに言えばそういう気持ちがぼくん中にどっかにあった。それがないひとはね、ぼくには分からないとは言い切れる。だから、そちらからもわからない、こちらからもわからない、それはね、彼方のね、つまり、ある、昭和20年21年22年ごろのね、人間のちょっとしたこの針の振れ方なんでしょ。それがぼく、ずっといままで尾を引いて、例えば天皇って言葉ひとつについてギャップが出来ると、っていうのは今始まったことじゃないですね。あの、20年21年の時の、あの心の奥底にあった何とも言えないもんですね、お互いにあった。そして、古林さんとぼくの間できっと根はこんな風に繋がってるんでしょうね。

古林:繋がってると思いますが。

三島:そこがね、パンっとこっちいったのと、こっちいったのと、それがずっとこうきてるでしょ。

古林:だから、若人よ蘇れではね、三島さんとぼくは完全に一致するわけですよ。

三島:あれはひとつの共同生活ですよね。

古林:文化防衛論になるとまるでこう離れちゃうわけですね。で、その繋がる部分の微妙な針の振れ方っていうことについて言えばね、ぼくは戦後、他にも言った人が随分いるわけだけれども、あの、余生というようなそういう言葉ではなかったけれども。

三島:それだけどぼくあった。強く持ってるなぁ。

古林:あ、やっぱりありましたか。

三島:強く持ってる。未だにあります。それでまぁ、お恥ずかしい話ですけれどもですね、ぼくは兵隊から即日○○帰されてきてね、で、そんときに遺書を書いてですね。天皇陛下万歳って遺書。ぼくあの遺書はやっぱり生きてると思ってる未だに。だから○○は死ぬとき遺書書く必要はない。あれ、どうしても生きてると思ってる。ぼくは人間ってね、そんな遺書を何度も書けるもんじゃないと思う。それで、まぁ、いくら子どもでも二十歳にはなってたんだから、そんとき書いた遺書には自分の前後があったと思うんですよね。で、もちろんそりゃ、そういう時代の少年特有の見得もあったでしょう。からまぁ、世間体もあったでしょう。ですけど、書いちゃったんですからね、字で。ぼくあれからいつでも思います。ですから、余生ですよね。

古林:ぼくの場合には海軍のパイロットでいて、わたしは特攻隊には関係なかったんですけど。戦後いろんな記録が出て、特攻隊員の名簿なんかが発表され、見てるとあぁこいつがいるこいつがいるって記憶のある名前が出てくる訳ですよね。未だに非常にこういたたまらないような気持ちですね。つまり、その男が死んで私が生きのびたっていうのは単なる偶然にしか過ぎないんで、あのころなぜあそこで死ななきゃいけなかったか、それがいま、どうやって、どうしてこうして生きているのかというようなことを考えると、戦後25年っていうのは一手に空白になってしまう、そこへこうショートしてしまうんですね。

三島:その気持ちよく分かりますね。それはほんといつでもいまでも離れないですね。この最後の特攻隊なんて映画はね、学生なんか喜んで観にいくんですね。ぼくは絶対観たくないですよあれ。絶対嫌なんです。それはやくざもの映画喜んで観にいくんですけどね、最後の特攻隊なんか○○。

古林:いや○○○○でしたけども、あの、嘘のような気がすんですよ、私はね。

三島:おそらく嘘でしょうね。○○。

古林:そんなはずはなかったって常に思っちゃう、いままでの映画、みんなそうでしたね。

三島:ただ同時にね、ぼく嘘だと思ったのは「きけわだつみの声」です。ぼくはこれは嘘だと思ってるんですよね。っていうのはね、もちろんそりゃほんとに書かれたものですよ。ただね、あの時代の青年が一番苦しかったのはね、ずっとナンバースクールでやってきたドイツ教養主義とね、日本ってものの融合だったんですね。でぼく、あのう、戦争末期の青年ってのはその東洋と西洋といいますか、日本と西洋ってもののね、思想的ギャップに身悶えしたと思うんですよね。でそこを突っ切ってった奴はね、単細胞だからぼく突っ切ってったってとは思わないんですよ。やっぱりぼく人間の決断だと思うんですよ。それで、決断した奴は馬鹿でね、そして、決断をしなくて迷ってた奴はね、立派だという考え、ぼくは許せなかった。いまだにぼくはねきけわだつみの像がね、京都でひっくり返されたってんで快哉を叫んだんです。ぼくはどうしても○○的な考えって嫌いですね。古林さん、まぁ、将来に対する危険ってことを非常に感じられるけどね、あの、随分安心な点もあるんですよ。っていうのはね、最近人に聞きましたけれど、防大を今度出た三尉としんみり酒飲んで話したって言うからこりゃ公式見解じゃなくて、個人的に飲んだんでしょうけどね。われわれは全くその職業的軍人であって、技術者であると。だからニュートラルだと。共産政権が出来たって軍隊は非常に必要なんだから、その時は喜んで共産主義に奉仕する、って言ったそうです。それはね、今のだいたい防大の教育のだいたい根本理念になってんですよ。

古林:それはありじゃないですか。昔話になりますけど、日本海軍でも似たようなことがあったんですよ。わたしがあのう、中学で○○から○○いわゆる軍隊教育なる理念をたたき込まれて、こういうもんだと思って海軍へ行ったら戸惑ったことが随分あるんですね。

三島:海軍は昔から文明開化ですね。

古林:お正月に軍人勅諭を司令が読むわけですよね。五箇条無いんですよ。三箇条で終わっちゃう。変だなぁとおもってこうやって見ていたら、厚い本になってるんですが、4,5ページずつピーとめくってくんです。ま、そういう合理主義がありましたしね。まぁ、あんまりあのう、精神主義的なものは海軍では感じなくて、今仰ったような技術万能みたいなところがありましてね。むしろ軍隊でありながら妙に、こっちの方が返って、その、隣組よりも、精神的には自由な面があるんじゃないかなっていうふうに感じたことがありますね。

三島:戦後になって山本五十六が英雄になったのはね、あれの、アメリカ的理念でね、そういう技術者的英雄だからですよ。それで、陸軍が持ってたような暗い精神主義みたいなものはね、向こうの人間にも理解できないし、そして、まぁ、海軍と非常に違ったところがあった。いま戦後の理念は全体に、まぁ、福沢諭吉体系ですからね、そのものには海軍ってものはするっと入るんですよ。ただ、陸軍はどうしても入れない。それで、ぼくは躍起になってる。ハハハハ。

古林:ハハハハ、盾の会は陸軍ですか。

三島:そうね、泥臭いね、あのくらーい精神主義、ぼくはあれが好きでしょうがない。もうほんとにファナティックな、蒙昧主義的なね、あのとても好きですね。ぼくの中のディオニソスなんですよ。あれは。そして、アポロン的なものっていうのはね、その、もう一つ別なもんですよね。ぼくのディオニソスってああいうところにあるんです。それはね、ずうっと○○にも続き、それからね、まぁ、あの、あれにもつづき、西南の役にもつづき萩の晩からなにからかにからずうっと芋づる式に繋がってるんです。

古林:三島さんのそういう心情をね、フロイト流の解釈をすればですよ、あの、小学校中学校高校までだったかな、成績表が展示されてて、体育だけが悪いんですよ。○○もちょっとよくなかったけど。

三島:○○はいつも上です。いつも上。

古林:あれ見てね、もうね、いろいろ感慨深いもんがある。ぼくの成績表も見てみるとですよ。ぼくも体育が駄目なんですよ。ハハハハ。それでね、子どもの時に体育が駄目だったってのは非常にコンプレックスになって、強いものに対する憧れみたいなものがね、非常にあったんですよ。それで、自分が同じようなことをやったからね、あのう、三島さんもそうだろうというふうに考えるのは失礼かも知れないけども、三島さんも似たようなことを考えてるのかなというふうに思うこともあるんですがね。

三島:たしかにそういうことはあるかも知れませんね。ただね、いろんな人間はね、つまり、劣化補償っていうのやるでしょ、アドラーの。そして、過剰補償っていうのやるでしょ。ぼくはあのなんていうか、心理学をなにも借りなくてもね、電流やなにか物理原則で説明できると思う。物理法則で。そして、一方で今度電圧が下がるとそっち電流をじゅうっと充電する。新たにそっちは充電しててこうなっちゃう。その間にこっち行く。そういうふうに、あのう、ぼくは人間の感情や精神って言うのは、ほとんど物理的法則を持っていると思うんですよ。ですからね、あの、少年時代そうだとまたそれで○○をもつ。で、そこでずーっと中を流年する。で、みんなね、それを流年するのを止めるようなことをインテリだと思ってる。ね、それ気に入らないんですよ。ですから、人間が普通に生きてればね、こっち引けば、またこっちへ足す。またこうやって。あるいは、人間のやることは馬鹿ですからね。例えば、椅子や机がガタガタするとね、脚一本切る。うわぁ、こんどこっちが低くなっちゃった、こっちを切る、またこっちが低くなっちゃった、そうやって一生やってるうちにですね、机はガタガタになっちゃて、それが人生じゃないでしょうか。ええ、ぼくは今まさに、机の脚がなくなっちゃうところまで切ってますよね。

古林:ええ、話が非常に面白くなったとこで、おしいような気がするんですが、お仕舞いにですね、三島さんが日本の今後、あるいは日本文学の今後でも結構ですが、そういうものについて、なにか抱負なり、願望なりってものを、そりゃ当然お持ちなんですが、あの、そういうことについて、締めくくりの意味でお話し戴けますか。

三島:ぼくあれですね、自分はもうペテロニウスみたいなもんだと思ってるしね。そして、つまり、ある、日本って文化の、ま、大げさな話ですが、日本語知っている人間はおれのジェネレーションでお仕舞いだろうと思う。で、もう、つまり、日本の古典の言葉がつまり、体に入っている人間ってのはこれから出てこないでしょ。未来にあるものがなにかっていったら、まぁ、国際主義ですね。それから、一種の抽象主義ですね、安部公房なんかそういう方行っているしね。だけど、ぼくはどうしてもあっちは行けないですからね。それで、世界中って言うか、あるいは、資本主義国全部が同じ問題を抱え、言葉こそ違え、全く同じ生活環境の中でね、あのやってくんでしょうね。ですからまぁ、そういう時代が来たってまぁ良いですけど、こっちはつまり 、最後まで、だからしょうが無い。

古林:しょうが無いと言うことではなくて、その、三島文学についてはどうなんですか。その、豊饒の海で終わりっていうことはもちろん無いでしょうから。

三島:まぁ、これは終わりかも知れないね。分からないね。今んとこ少なくとも次のプランってなにもないです。もうくたびれ果てて。

古林:そんなことは無いでしょう。ハハハハ。

【完】