文学・文具・文化 趣味に死す!

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弘法筆を選ばず の 本当の意味は

弘法筆を選ばず、という諺がある。

弘法大師のような書が上手な人は、どんな筆でも上手に書ける、という意味で使われている。延いては、下手なのを道具のせいにしてはいけない、などの意味に用いられる。

 

だが、実際の空海は筆を選びまくりなのである。選ぶどころか、自分の理想のために色々と作らせたりもしている。いわば筆マニアである。

 

「能書は必ず好筆を用う」by空海

 

さて、なんでそんなことを考えたかというと、筆は万年筆に比べて安い。万年筆は中古でも相当な値段がするが、筆は中古になるとガクンと値が下がる。まさに二束三文で手に入る。

 

そんなこんなで、わたしは山のように筆を持っている。常時20本くらいぶら下げて、その日の気分で使い分けている。

 

 ↓こんなオシャレではないが、自作の筆架にぶら下げている。

 

おそらく、弘法大師は20本はおろか、200本くらいの筆架を持っていて、その中から、その日の気分でその日の書に相応しい筆を選んで使っていたことだろう。

 

筆というのは面白いもので、二本と同じものはない。そして、気に入ったからといってそればかりを使い続けることもないのである。あれこれと手が伸びてしまうのだ。

 

そんな空海の様子を見ていた周りのものはどう思っただろうか?

 

「あれれ、お師匠は今日も違う筆を使っておられる。毎日毎日違う筆を使いなさる。お師匠にとって筆などは何でもいいのだろう」

 

という風に感じることは想像に難くない。

 

だが、実際は空海は選んでいたのである。ただ、無造作に選んでいるように見えるのは、筆架の前で悩むのではなく、もう朝起きた日から、「今日はあの筆を使おう」と心に決めているからだ。筆架に伸びる手はあたかも無造作に選んでいるがごとく映るのであろう。

 

普通に考えて、マニアが愛玩の対象物を選ばないハズがない。

 

 

空海は、すごい 超訳 弘法大師のことば

空海は、すごい 超訳 弘法大師のことば