上善は水のごとし、とは老子の言葉である。
上善は水の若し。
水は善く万物を利して争わず、
衆人の悪む所に処る、
故に道に幾し。
最高の善とは水のようなものだ。水は万物を潤して恵みを与えているにもかかわらず、威張ったり自慢したりせず、全てを避けて通る。人間のように人の上に立とうとはせずに、もっとも低いところに行く。これが道というものだ。
と言った意味。
その上善如水を酒に名付けた。
わたしは、否、わたしたちはこの酒が大好きだった。
当時、まだ子供だった頃、粋がって日本酒を口にするも、あまりの香り、味、の強さに飲めないのだ。
しかし、この酒は違った。まさに「水」のように飲みやすい酒だった。わたしたちは上善如水を飲んで、「日本酒が飲めるようになった」と粋がったものである。
そんな懐かしさから、久しぶりにスーパーで目についたので買ってみた。
うむ。相変わらず水のようであった。
大人になり、日本酒の美味さも分かったので、酒が水のようである必要性はなくなった。
上善はたぶん、上撰にかけているのだろうが、今の人たちはもう上撰と聞いてもなんのことか分からないかもしれない。