平野啓一郎が面白いことを言っていた。
好きな女性が二人いたとする。
Aさんとデートしたら、話も弾んでとても楽しい充実した時間を過ごした。
Bさんとデートしたら、油断すると会話が途切れる。あまり盛り上がらずに、終わる。
もし、次にどちらかとデーとするとするならばAさんを選ぶ。
AさんのこともBさんのことも好きなのに、なぜAさんを選ぶのか。
Aさんと一緒にいるときの自分が好きだから、と言うのだ。
人間は他人に好かれたいと思う。他人に好かれているか気にする。だが、他人が自分のことを好きだという場合の多くに、自分と接している他人が自らを好きになれる、という理由がある。
つまり、その人といると心が落ち着き、話が自由に出来て、楽しい気分になれる、その状態の自らが好きであるから、その人のことが好きである、という理屈だ。
故に、なぜ好きな人の死を悼むか、と言えば、もうその人と接したときの安らぎや自由や楽しさを得られなくなるから、人間は好きな人の死を悼むのだという。
この理屈はかなり目から鱗だった。
ちなみに平野啓一郎の作品は日蝕を数ページしか読んだだけである。挫折した。
聞くところによると最近の作品は日蝕よりも読みやすいらしい。