ものへの憧れが失われた、と言われている。確かに昔のものには、憧れがあったと思う。それはまた実用的でもあった。少なくとも実用の度合いは高かった。
例えばそれは、腕時計であり、万年筆であったり、車であったりする。しかし今、最も実用性の高いものといえば、スマホやノートパソコンだろう。ではスマホやノートパソコンが憧れの対象になるかと言うと、それは難しい。
スマホやノートパソコンはすぐに時代遅れになってしまう。時計や万年筆ももちろん時代遅れになる。しかし、その速度はスマホやノートパソコンに比べればはるかに緩慢である。スマホやノートパソコンの時間を人間は把握できない。ひきかえ、時計や万年筆に時間は人間が共有できるものともいえる。
時間を把握できない、未来の発展を把握できない、未来に対して期待が高いということだ。だがそれは同時に、現在に対する充足度の低さを意味しているのではないだろうか。未来に対する憧れが高まれば高まるほど現在はチープになっていく。