007「ロシアより愛をこめて」を観たらボンドのラペルが細くなっていた。この作品でもっとも気になったのはボンドのラペルと胸ポケットの位置である。ダニエル・クレイグのボンドを観れば分かるが、現在はポケットチーフはラペルに若干隠れるのがエレガントだということになっている。
ロシアより愛をこめてに出てくるキャラ達は、ボンドのみならず、ペドロ・アルメンダリス、ロバート・ショウ然り、みんなラペルから離れた位置に胸ポケットがついており、ラペルでポケットチーフが隠れないデザインなのだ。
男のスーツはミリ単位の変化が加えられる。それだけで、デザインはぐっと変わる。スーツは50年前とほとんど変わっていない。いや、70年前とほとんど変わっていない。ただ、胸ポケットの位置はかなり変わっている。これはミリ単位ではなく、センチ単位で変わったのではなかろうか。
スーツの起源が乗馬服ならば、昔の乗馬服に胸ポケットは付いていない。燕尾服、モーニングの時代から付き始めたようだ。そもそも、ラペルがなければ、ラペルに隠れることもない。エドワード8世の写真などをみてもラペルに隠れることはない。少なくとも、シングルの場合は。
ポケットチーフを論じるのは難しい。なぜなら、それが実用品か装飾品のどちらであるかから論じなければならないからだ。
ハンカチはもともとカーチーフという頭を覆おう布であった。語源はcover chief。cover(覆う) chief(頭)そのままである。少なくとも、この時点では鼻をかんだり零れたシャンパンを拭いたりするものではなさそうだ。
そのカーチーフを手に持つようになり、ハンド・カーチーフとなり、ハンカチとなった。ただ、初期のハンカチは装飾的な要素が強く、現在のタオルのような役割はない。いつからハンカチが手拭きになったかは分からないが、ハンカチを実用品としてのみ考えるのはその歴史から見るとちょっと乱暴かも知れない。
さて、ここからはわたしの憶測である。おそらく、ハンカチは実用と装飾を行ったり来たりしているのだと思う。初期のジャケットには胸ポケットはついていない。胸ポケットが出来たのは結構最近である。その目的はハンカチを挿すためにつくられたとも言われている。
ポケットチーフはもともと実用品であった。今も実用品であることに変わりはないはずだが、飾り的な要素が強くなっているのも事実である。そして、実用品であるならば、取り出しやすくなければならない。ラペルが邪魔をして取りにくい、などというのは機能不全なので、ラペルにかからない部分に付けられたと思われる。
昔のスーツは三つボタンでラペルの返りはかなり上の方から(Vゾーンが狭いということ)だったので、特に気にすることもなくラペルから離れた位置に胸ポケットを設置したと思われる。
しかし、60年代、ナローラペル、とくに三つボタンのナローラペルともなると、ポケットがラペルと離れ過ぎているのが気になるのだ。まさに、このボンドたちが着ているスーツに挿したチーフである。しかも白をテレビホールドに挿しているので、なんとも浮いている。スーツとチーフの一体感が感じられない。
70年代から80年代、デザイナースーツの超ワイドラペルが出てきて、ポケットにかかるようになる。このポケットがわずかにラペルにかかる状態を人々がエレガントと感じたのかも知れない。この時代は手ふきや水回りが先進国では整備されて、ポケットチーフの飾りの要素が強くなってきたこともあるだろう。
ただ問題が起きた。飾りの要素が強くなりすぎて、人々がチーフを必要としなくなった。そしてついに、ジョン・メージャーイギリス首相のころから、ポケットチーフそのものが挿されなくなっている。今ではチーフを挿している人は希である。ひどい人になるとペンを差していたりする。そもそも、ポケット自体を飾りだと思っている人も多いのではないだろうか。
中曽根、レーガン、ヒースの写真をみると、ラペルにかかっている場合とそうでない場合の写真がある。とくにレーガンは壮年と老年で差がよく出ている。
ヒースも二枚載せておこう。
ついでに中曽根さんも二枚載せておく。ラペルの変遷が良く分かる写真である。
この時代が過渡期だと思われる。オバマ、我らが安倍さん、クレイグ、現代ではほとんどの場合、ポケットの一部はラペルで隠れるデザインになっている。おそらく、ポケットチーフは今後復活すると思われる。そして、ラペルで僅かに隠れるというスタイルが、しばらくは続くだろう。