本日は投票日である。時々、投票は義務だと思いこんでいる人がいるが、そんな義務はない。もし義務だとするならば、一体誰が誰に負っている義務なのだろうか?
国民として国家に負っている義務なのだろうか? 社会の一員として社会全体から個人に課せられている義務なのだろうか? それとも、崇高なる民主主義を護持するための聖なる義務なのだろうか?
哲学者の適菜収は、投票を民主教信者の儀式だという。投票に行かないと罪悪感を感じるのは民主教の信仰にたいする背教だからだという。
自分は「当たり」があるならば投票に行くのはありだと思う。だが、当たりが全く分からないのに盲撃ち的投票は、それこそ反社会的行動であり、国家に対する冒涜だ。
白票は意志表示で棄権は意思表示ではないという人がたまにいるが、理屈が分からない。盲撃ち投票よりは白票の方がましだ。どうしても行かないと落ち着かないという人は白票もありかもしれない。
以前のコメントで、「競馬の方が選挙より簡単だ。なぜなら競馬は当たりがあるから」と書いた。
もう一つ、政治関係者の中のジョーク?がある。
有権者と議員秘書の会話。
有権者が言った。
「わたしは投票には行かないんです。どの候補者がどんな人間だかよく分からないので」
秘書はうんうんと頷きながらこう言った。
「わたしも投票には行きませんよ。誰がどんな人間だかよく分かってますから」