文学・文具・文化 趣味に死す!

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カラオケハラスメント 強いる文化について

今週のお題「カラオケの十八番」

 

カラオケの18番。何ともグロテスクなお題である。

このブログで書いたか覚えていないが、わたしはカラオケが大嫌いである。そして、カラオケが理解不能である。自分が歌うのも論外。他人の歌を聴くのも勘弁である。

歌が始まると、話も出来なくなるし、酒も不味くなる。そして調子っ外れの歌が耳に侵入してくる。誰が何のために考えた文化か、全くわからない。

先ほど、もしやと「カラハラ」とググったら、やっぱりあった。宴会、接待等はカラオケを歌うことを強要されるのがカラハラだ。

そもそも、カラオケとはそんなに一般的な文化なのだろうか。カラオケサークルや、カラオケ好きの人たちがカラオケボックス等で歌うのにケチを付けるつもりなど毛頭ない。その他の趣味と同様で、勝手にやればいい。

宴会や接待で、アルコールが嫌いな人間にアルコールを強いればアルハラになるのと同様、カラオケを強いればカラハラになるだろう。日本ではこの強いる文化というのがあるのではないだろうか。日本は一応集団主義の社会と言うことになっている。集団と同様の行動をするように、圧力がかかるのかもしれない。

今は給食でも完食を強いることはないという。昔は牛乳ハラスメントが横行していたが、教育委員会の指導の下、近年では下火とのこと。ただ、牛乳ハラスメントは、生徒が憎くて、または嫌がらせが主目的で行われていたことではない。教師の多くは、生徒によかれと思って牛乳を強いていたはずである。

ラインやフェイスブックも一種の強いる文化が介入しているかもしれない。
「え、フェイスブックやってないの? 大丈夫? それで平気?」みたいな感じで、フェイスブックをするように圧力をかけたりかけられたりしたことはないだろうか?

話を戻すが、わたし自身がカラハラに敢然と立ち向かっているかと言えばそんなことはなく、ちゃんと数曲用意しており、参加者の年齢層に応じて歌い分けている。ここ十年くらい同じ曲しか歌ってないので、歌詞を見ないで歌える。わたしは極めて世間に迎合的な人間である。作家としていかがなものかと、自分でも悩ましく思っている。

確かに、接待に臨席させている部下が頑なに歌唱を拒否したら、もし自分が上司だった場合困るだろうし、会場を作ってくれている人の苦労を思うと、協力してあげたくもなる。

カラオケ文化は時期になくなる。というのも、わたしのまわりでは50代以上が主にカラオケをやりたがる。わたしと同年代のものたちとの宴会では、カラオケボックス等を使うことが多々あるが、カラオケを歌ったためしがない。

社会学的に考えると、共通の歌がなくなったというのもあるのかもしれない。昔の人たちは、他の人が歌う歌を知っている。つまり、歌い手はひとりで歌っているわけではなく、歌を会場と共有して歌っているのだ。だから盛り上がる。共通の歌という文化が再び訪れない限り、宴会でのカラオケは衰退の一途をたどることだろう。