ぽつんとマンションの一室で一人たたずむ。暇がだんだん充満してきて、書道でもしようと思い立つ。いつも使っていた清代の歙州硯が見当たらない。しばらく探して、ダイアモンドを買うために売ったことを思い出した。他にも気に入っている硯は何面かある。今日は近代の端渓を使うことにする。
半紙を広げ、墨を磨る。さて、なんて書こうか。書くことが決まらずに墨を磨っていたら、随分と濃墨になってしまった。筆にたっぷりと墨を含ませてみるが、未だに書く字が決まらない。とりあえず、「一」と上半分に大きく書いた。その「一」を見ていたら、左下に「夕」が浮かび、右には「ヒ」が現れる。見えたままを筆でなぞる。
死。間抜けな文字だった。僕はもう一枚半紙を出して、今度はちゃんと、北魏っぽい線質で渇筆も出しつつ、「死」と書いてみた。エクスクラメーションも二つ付けてみた。「死!!」あと十九日で死ぬというのに、全然実感が持てない。なんでワクチンなんか打ってしまったんだろう。どうして、政府はワクチンによる人類淘汰を見抜けなかったのだろう。政府も荷担しているのか。でも、官僚でも政治家でも死んだ人たちは大勢いる。全てはフェイクニュースか?
虛。と書いてみる。コロナさわぎの時から、なにが真実かは分からなかった。ワクチン騒ぎで、ますます分からなくなり、訳が分からないまま僕は淘汰されてしまう。もう一枚、半紙を出して、人生と書いてみる。僕はまだ死にたくなかった。ワクチンさえ打たなければ。ワクチンパスポート、接種義務化、世間の目、同調圧力、マスコミの報道、ワクチンを打たないなんて選択肢はなかった。なかったけれど、もしワクチンさえ打たなければ、僕はまだ生きられたのに。
人生の生を○で囲んでみた。
十月十日。
結婚記念日。僕たちは式を挙げた日を記念日にしていた。そして、この日は裕二の命日でもあった。だから、お祝いはいつもぎこちない。裕二はきっと僕たちがぎこちなくすることを喜ばないだろうから、もっと賑やかにやればいいのだけれども、簡単に気持ちは割り切れない。いつもは墓参りに行って、そのあと結婚記念日を祝う。今日は理恵がどうしても外せない仕事があったので、明日土曜日に行くことにしていた。墓参りは故人のためというよりも、生きている自分たちの免罪符のようなもの。今日は免罪符を持っていなかったから、ケーキの甘さがいつもより口に残る。
僕は妻にダイヤのネックレスを買ったつもりでいて、開けてみたらイヤリングが出て来たのでちょっと焦った。最近、こういう勘違いが多い。定員にスイートテンダイヤモンドのお薦めを聞いたら、ネックレスとのことだったが、裕二が結婚記念にくれたのがダイヤのネックレスだったからイヤリングにしたんだ。
理恵ははにかみながらイヤリングを両耳に付けた。薄暗くしている室内で、ダイヤモンドが高貴な光を放つ。
「ありがとう。高かったんじゃない?」
「実は貴重な清代の一面持ってたんだ」
「あんな石くれお金になるの?」
「なるよ。そんなこと言ったら、ダイヤだって石くれ。他の硯や墨も、僕が死んだら売ってくれて構わない。そんなに高いものじゃないけどね」
話しながら、僕はデジャブを感じる。デジャブは記憶の綾でしかないが、どこか別の時空に自分がいたような、そんな錯覚に僕は震えを覚えることがある。
「わたし、まだ達也に死んで欲しくない」
理恵は涙声だった。
モバイルを確認すると、僕の寿命はあと十日だった。
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今朝、あらすじをアップしたのだが、表を付けるのを忘れていた。近頃物忘れが激しい。もうお終いか。