文学・文具・文化 趣味に死す!

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墨を磨るべきか 文房清玩

昨日の続きではないが、最近読んだ文房四宝入門で北畠氏は以下のように述べている。

 

「ちかごろの書道は既成の墨液を使ってやっている人もいるそうだが、はたしてそれが書道だといえるだろうか。墨をする時間が面倒なくらいだったら、いっそのこと書道などやらない方がいいのではないかと思うのだが、どうであろうか」

 

我が意を得た文章であった。わたしもそのように感じていた。床一面に書く書道パフォーマンスは、また書道とは少しジャンルの違うものなので墨液を使うのもありだろう。

 

だが、普通の半紙や条幅に書を書くにあたり、墨液を使ってしまってはその魅力は激減してしまう。まさに、「やらない方がいいのではないか」というものになってしまう。

 

弓道は実戦で人を殺すことがなくなり、より「道」として純化した。書道も実用性を失って道として純化しているのだと思う。

 

書道が実用性を顧みなくなったのは昨今の話ではない。宋の時代には書は芸術として確立していた。曰く「字が上手いだけでは駄目だ。相応の人格が備わっていなければ」と言われているのだ。

 

茶道などはわかりやすい。茶を飲むのが茶道ではない。その準備段階から茶道は始まっているのだ。もっと言ってしまえば、24時間365日が「道」なのである。

 

つまり、わたしも北畠氏も、墨液なんか使って書いている奴が気に入らないのである。なぜ、墨を磨る楽しさがわからないのだ。小学校は書道の一番美味しい部分をスポイルしている。もし墨液を使ってしまったら、文房四宝の「筆硯紙墨」の半分が失われることになるではないか。文房清玩が成り立たないではないか!

 

端から見れば、マニアがラリッたことを言って騒いでいるようにしか見えないだろうが。

 

 

文房四宝入門 (目の眼ライブラリー)

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