久しぶりに鞄にオイルを塗った。だいたい2ヶ月に一回くらいだろうか。オイルを塗り立ての鞄は飴色に光り実に美しい。これを持ち歩くのは喜びである。
鞄は携えることが喜びとなるものがいい、と言ったのは落合氏である。鞄はとかく実用的な面が強いアイテムである。しかし、鞄も立派な装身具であり、苟もダンディズムを志すものにとっては、そうでなければならない。
服は寒さを凌ぐためだけに着るものではなく、靴は歩くためだけに履くのではなく、時計は時間を知るためだけに嵌めるのではないように、鞄はものを持ち運ぶためだけに携えるわけではない。
わたしは靴や鞄を手入れするのが好きである。義務的にやったことはない。靴や鞄を磨いているとき、それは至福の時間である。だから、靴も鞄も手入れが必要なものを好む。鞄ならば、ナイロンより革を好む。靴ならば、ガラスレザーよりもカーフを好む。
人間効率だけで、実用的というだけで生きるのではない。人間は美学のために生きる。ダンディズムとは一種の美学であり、美学は時として実用性や効率性とにらみ合うことがある。
美学と実用性の仲裁、それが人間の役目だ。