文学・文具・文化 趣味に死す!

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今週のお題「わたしの一足」

今週のお題「わたしの一足」

 

美術品というのは、絵画や宝石のように純粋な美術品と、例えば刀剣や楽器や建築などもそうであるが、実用を兼ねた美術品がある。

 

刀剣は現在、実用的ではなくなってしまった。自動車も実用品兼美術品と言えなくもないが、フェラーリで子どもの送り迎えをする親はいないのではないだろうか? フェラーリを持っている家はおそらく数台車を持っていて、せいぜいアウディ程度で子どもの送り迎えしているはずだ。

 

そこへ行くと、靴というのは実用品と芸術品がイコールになっている数少ないアイテムである。20万のジョンロブを買って飾るだけのバカはいない。そもそも、自分の足に合わなければならない靴というのは、美術品でありながら、他人とは価値を共有しない希有な物なのだ。

 

わたしは気に入っている靴を磨くのが好きだ。昔の武士が刀をポンポンやるのに似ている。良い靴は磨きたくなる。磨くためには履かなければならない。履いて磨く、この繰り返しが靴を育てる。購入してしばらく、きつかった靴が自分の足に馴染んでくる過程、これがまた至福なのである。

 

靴やジャケットを一生物だと思っている人は間違えている。靴やジャケットは、親から子へ譲り渡す物だ。

 

残念ながらわたしの父親は靴に感心が薄かった。父親の靴で残っている物はない。だが、ジャケットは残っていて、何枚も譲り受けている。30年前のジャケットもあり、デザインはまさにその時代の物であるが、問題なく着られるし、周囲の評価も上々である。

 

靴のデザインはジャケットより変化が緩慢である。サイズさえ合えば履けるのだ。そして、革製品全てに言えることだが、革製品というのは常に半成品で、我々は使うことにより完成品に近づけていくのだ。買ったばかりの靴より、10年大切に履いた靴の方が遙かに味があるのはその為である。育成系ゲームが好きな人は、靴を育てることを楽しめると思う。

 

以下の写真は目下育成中のお気に入りの一足である。

 

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