文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

劇場版STEINS;GATE負荷領域のデジャヴ を観た

 

 

先日、君と百回目の恋でシュタインズゲートに触れたと思ったら、シュタインズゲートの映画がプライムに加わった。やはり、無数の世界線はどこかでつながっていて、わたしがこの世界線でシュタインズゲートの話に触れたから、回り回ってシュタインズゲートがプライムに追加されたに違いない。

yoshinori-hoshi.hatenadiary.jp

 

以前、シュタインズゲートの夢の解釈はいい、という記事を書いたが、この映画作品は題名の通りデジャブをあつかった作品。

yoshinori-hoshi.hatenadiary.jp

 

作品の内容であるが、この尺に収めるのはシュタインズゲート的には不可能。テレビ版の後日談であるが、テレビ版が好きだったものが愛でるのを前提で作られている。正直蛇足な感じもしないではないが、懐かしかったので楽しかった。

 

 

 

てのひら を読んだ

 

茗荷谷の猫 (文春文庫)

茗荷谷の猫 (文春文庫)

 

 

最近、またアクセス数が上がってきた。読まれているのは男市に関するブログである。

どうも近々男市が開催されるのであろう。このブログがそんなに男市関係でひっかかるなら、もっとまじめにレポートしてくるかな。

 

筋トレ再開。そのことはまた別に書こう。

 

さて本題。

 

一葉の絵のような掌編である。20枚くらいだろうか。茗荷谷の猫の中の一遍。舞台は戦後間もない東京で、まだ電報が使われている時代である。わたしは銀座も浅草も上野も知っているので、これを読んでなんとなく雰囲気をつかめる。銀座は大分様変わりしただろうが、上野の不忍池周辺などは変わっていないだろう。

話の内容は、母親が娘夫婦の家に尋ねてくる。娘はなんでも完璧にこなす母親を尊敬していたが、そんな母親も寄る年波には勝てず、娘はそのことにショックを隠せないのだ。母親もそのことがわかっているのだろう、母と娘が喧嘩したシーンはこのようにまとめられている。

【道の真ん中で、幼女がふたり、哭いていた。】

文体も美しくよどみがない。古い時代を書いたものであるが、現代性もある。現代人が失われた過去、ちょっと振り返ればそこにあった過去を懐かしむという現代性である。100年の名作にふさわしい。

 

↓これに収められている。

 

小説を読むのではなく、小説に読まれるということについて

普通、文学作品なり、何らかを鑑賞するときは、こちらが主体となり、作品を評価する。よい作品、面白い作品、下らない作品、など下す評価の中に、わからない作品、というのもたくさんある。

わからない作品に出会ったとき、イコールつまらない作品に分類してしまう。わからないのだから、面白いはずがない。ただ、自分が主体となるのをやめて作品と向き合うという、論理矛盾であるが、そういった心持ちで作品に向き合うと、面白いかも知れない。

つまり、評価されているのはわたしであって、作品に試されているのである。作品がわたしを中身のある人間であるか、興味ある人間であるか、下らない人間であるか、まるで面接官のように評価している。

その場合の作品の読み方は、ちゃんと評価されるように読む。立派な人間だと思われるように読む。そう考えると、「作品に受け入れられる」というとらえ方が出来るし、ちょっと視野や了見が広がるような気がしないだろうか。