Yoshinori Hoshi Official blog

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログです。映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係など、思うところをほぼ毎日更新してます。

銀座の中心で日本は日本人のたの国

ブレクジットやトランプ選出に際して、東浩記が 「この現象は都市部対農村部の対立。グローバル化の恩恵を受けている都市部とグローバル化の被害を被っている農村部に対立であり、ロンドンの住民は、イギリスの田舎の住民よりも、ニューヨークや東京の住民と心的距離は近い」というような論評をしていた。
 
よくツイッターとかでは、「日本は日本人のための国」という言説が目立つ。しかし、昨日銀座に行って、中国語が飛び交う中、西洋人の服装を物色して、カフェでビールを飲んでサンドイッチを食って、幾何学的な日比谷公園でダラダラしていたら、少なくとも銀座・日比谷界隈は日本人のためだけの街ではないという感覚を得た。
 
「日本は日本人のための国」だということに異論を挟むつもりなど毛頭ないのだけれども、GW中、長野で美しいいわゆる日本の原風景に囲まれていた感情と、ビルと外人とグローバルに囲まれているときとの感情には明らかな乖離がある。
 
長野にいるときに「日本は日本人のための国」と言われても「確かにそうだよね」というだけで、それ以上議論になることはなかろう。せいぜい、パプリカとズッキーニの存在が引っかかる程度だ。この世界では日本と日本人はイコールで結ばれる。
 
しかし、中央通りの松屋の前で「日本は日本人のための国」と言われたら、その言葉には疑念が生じるだろう。周りは外人だらけ、BMWやベンツがガンガン走り、ルイヴィトン、カルティエ、ブルガリ、アップル、そんな店に囲まれて、手に持っているのはやっぱりアップルで、日本と日本人をイコールで結ぶことが出来るだろうか。「日本は日本人のための国」確かにその通りだ。確かにその通りだけれども、その言葉が意味しているのは、この目の前の景色なのだろうか。
 
「銀座、原宿、渋谷、秋葉原は別だ。あそこは観光地だから、切り離して考えないと」という考え方もあるかもしれない。しかし、銀座が生活圏に入っていたりする場合どうしたらいい? そもそも、観光地は国家の概念から切り離すことが可能なのだろうか。
 
霞ヶ関・永田町は日比谷・赤坂から地続きである。なので、グローバル的な判断を下す可能性は大いに高い。もし政府が、長野の田んぼのまっただ中に設置されていたとしたら、今とは違う政治判断が行われることと思われる。