世の中には希少本というのがあって、たいそうな値段がついている。希少本と言うほどのものでなくても、amazonとかで昔の本を買おうとすると定価の数倍の値段がついていることはざらである。
本の価値は紙の質量ではなく中身である。しかし、紙の本の場合は物質とコンテンツが切り離せないので、物体そのものに価値が生まれてしまう。
電子書籍は無限に複製できるので、そういう意味での希少価値はない。ただ、意図的に限定100冊とかしたら、価値が生まれるかも。
村上春樹などが新長編を書いて限定1000冊、などでオークションをやったら、一冊どのくらいの値段になるだろうか。格差社会のなれの果てはそんなことが現実に起こるかも知れない。
版画や現像写真がそうだ。無限に複製できても、敢えてそれを行わず、ナンバリングして価値を高めている。
貴重なものは価値が高いとは面白い原理だ。ダイアモンドなどは米粒程度で驚くべき値段がするが、もし仮に線路の敷石が全部ダイアモンドだったら、誰がダイアを欲しがるだろうか。