Yoshinori Hoshi Official blog

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログです。映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係など、思うところをほぼ毎日更新してます。

言葉とは実に微妙で、だから面白いのか。

今日は出かけて夜まで帰れない。日付変わる可能性大。なので、予約投稿しようかなと思ったのだが、もっといい方法を思いついた。

 

いま投稿すればいいじゃん! 今でしょ! 

 

ということで本題。


文章を推敲する、とよく言う。僧は推す月下の門、にしようか、僧は敲く月下の門にしようか散々迷ったという故事だ。

今回月天に載せてもらった詩で最後まで悩んだのはfktackさんにも気に入って頂けた、「人間は全く成長しない」という詩。その中に以下の文がある。

これまでがなんであったかも
おおいに疑問に感じている

という文。

最初は、

今までがなんであったかも
おおいに疑問に感じている

と書いた。だが、上がってきたゲラを読んでいたら変えたくなり、「今までがなんであったのかも」にしてみたり、「これまでがなんであったのかさえ」にしてみたり、悩んだあげく「これまでがなんであったかも」に決めた。言うまでもないが、文章は一つしか選べない。

これまでがなんであったかも
これまでがなんであったのかも

「の」が入るだけで雰囲気は変わる。結局、自分は「の」がない方が野暮ったい雰囲気となり、詩全体と調和すると考えて「の」を除いた。

「今まで」と「これまで」も、「今まで」だと現在に意思が感じられるような気がして不採用。「これまで」の方が曖昧模糊としている。詩の雰囲気に合っていると思った。

「今まで」だろうが「これまで」だろうが、「の」があろうがあるまいが、詩の内容はほとんど変わらない。そんな微妙な違いというのは、逆に言えば言葉の限界を表しているのかも知れない。