文学・文具・文化 趣味に死す!

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思想と身体性について

諸賢は沼山光洋氏をご存知だろうか。靖国神社の前で割腹自殺を遂げた忠君愛国の士である。

 

と書くと、明治か昭和初期を思い浮かべるかも知れぬが、時代は令和である。先月である。このことが全くニュースにならないというところに日本のマスコミの問題点があると感じるのはわたしだけだろうか。

 

靖国神社で割腹自殺を遂げた保守団体事務局長の「遺言」|ニフティニュース

 

わたしがこのことを知ったのは偶然で、たまたま靖国神社に行ったら、松方弘樹とか哀川翔とか小沢仁志とか松井一郎のような雰囲気な方々がたくさんおられ、真白いセンチュリーや隣に駐めるのが憚られるレクサスなどが駐まっていた。

 

わたしは目を合わさないように石畳を見つめながら歩いていた次第である。「今日はなんかあるんですか」と神職さんに聞いたら、「沼山光洋さんを忍ぶ会があるんです」とのこと。

 

靖国がらみはニュースにならないことが多いが、この件もほとんどニュースになっていない。田母神氏のツイッターくらいしか世間に広めるメディアはなかったのではないか。

 

割腹自殺で思い出すのは三島である。三島は自決一週間前のインタビューでこのように答えている。

 

インタビューアーである古林氏が問う。

「三島さんには終末感の美学があり死は美に通ずる。それは分かるんだけれども、それが三島さんの原体験と結びつかず、架空の世界として論理として定着してしまうのがどうも解せない」

 

三島がそれに答える。

「ぼくはそれを怖れてるんです。原体験と接着しない論理が、そんなものが宙に浮いたらこんな大嘘はない。そんな嘘が嘘として通用するくらいなら全共闘のほうが立派だと思うくらいですよ」

 

つまり、思想には言行一致が不可欠である、と言っている。

 

近年の思想が単なる言葉遊びの域を出ず、世間から尊敬も注目もされないのは、行動が伴わないからである。どれだけ偉そうなことを言っても、どれだけ正論を吐こうとも、行動を伴わなければ人々の共感を得ることは難しい。

 

身体性を伴った行動というのは、その言論、思想の骨格に肉を付けて人々の目に具体的に映るようにすることである。

 

結局、言うは易く行うは難し、なのである。東浩紀が会社を立ち上げてあれこれ行動しているのも、言論活動の限界を感じていればこそだと思う。

 

三島も自衛隊に乗り込んでクーデターが成功するなどとは夢思っていなかったはずである。

 

理想が叶わぬ時に、生きる価値なしとして死ぬるというのは、その人間の中に理想を実現することである。死を以て現実を否定し理想を肯定するのである。

 

故に、人々はその人の死の向こうにその人の理想を垣間見ることが出来る。理想が言葉遊びではなく形になる瞬間である。