前も同じようなお題があったような気がする。
この中で、わたしは五年後も大して変わっていないだろうと書いた。
80才を過ぎた爺さんたちと話していると、戦争の話と戦後間もない苦労話がほとんどだ。とくに、戦争体験者は本当によく戦争の話をする。それだけインパクトがあったのだろう。
わたしはそのことが羨ましい。はたして、わたしたちが80才90才になったら、若者になんの話をすれば良いのだろうか?
仮に孫が出来たとして「お爺ちゃんの若い頃ってどんな社会だったの?」と聞かれたら。
「今と大して変わらんよ」
などと答えてしまう。話すほどのネタもない。これは悲しいことではなかろうか。
いや、孫の世代には乱世になっていて、われわれ老人は今の平和を熱く語っているかも知れないが。
今の時代にある閉塞感、虚無感をひとつ具体化すれば、「未来に語るべきことがない」という理由があると思う。わたしたちは永遠に続くように思える今日を繰り返しているだけなのかも知れない。
個人的になにかエキサイティングなことをしても、それは個人的なことに過ぎず、時代がわれわれに生き方を強制することはない。つまり、どこまでも自分の選択に過ぎず、自分の選択など人に語って聞かせるものではない。故に語ることがない。
