河瀬直美監督の東大入学式での祝辞、国際政治学者から批判相次ぐ。「侵略戦争を悪と言えない大学なんて必要ない」(ハフポスト日本版) - Yahoo!ニュース
このニュースは常々わたしが問題に感じていることの分かりやすい例である。
侵略戦争を侵略戦争と断定して悪だと決めつけるのは政治である。
政治はそれでいいのである。それが政治である。
しかし、学問は違う。
なぜ戦後ドイツ哲学が衰退してフランスに移ったか。
ドイツはナチスを相対化出来なかったからだ。
ナチス=絶対悪としてしまえば、思想は存在しなくなってしまう。
侵略戦争=絶対悪 という考え方は思想でも哲学ではない。ただの信仰であり政治的プロパガンダに過ぎない。
侵略戦争=悪だなどとは、そこらの幼稚園児でも感じていることである。そう感じて、思考を固めてしまったら、大学など必要ないではないか。
こんなことは常識であるはずなのに、河瀬監督がわざわざそんな当たり前のことを言わなければならないほど、大学生の思考が劣化してしまっているのだろうか。
ワクチンも同じだった。ワクチン=絶対善という信仰が、ワクチンを危険視する者たちを反ワクチンとレッテルを貼り付けて話を聞こうともしない。
一体ワクチンの危険性がどれほど議論されてきただろうか?
ワクチンを打てば感染しないとか、感染しても発症しないとか、さんざんデマを流していた専門家たちは無罪放免。これが宗教ってもんだ。
日本がなぜいち早くポストモダンを実現出来たかと言えば、あらゆるものを相対化出来たからではないだろうか。戦争を悪と捉えるのではなく、無常と捉えたからではないだろうか?
もし、侵略戦争が悪ならば、大東亜戦争は悪になってしまう。そんな単純なものではないのだ。ロシア人はロシアVSウクライナ戦争を侵略戦争とは見なしていない。我々が大東亜戦争を侵略戦争と見なしていないのと同様である。
ある戦争を悪だ善だと決めつけるのは政治だけで充分なのだ。
もう一度言おう。
侵略戦争を悪と決めつける大学なんて必要ない。