ペンの光 2016年3月号より
春なれや名もなき山の朝霞
芭蕉の句である。
春なれや。美しい。春なり、に詠嘆の「や」がつく。「春なれば」に「や」がついて、「ば」を略したとかなんとかも聞いたことがある。
春なれや。
訳し方は二つあって
「春になったなぁ」という詠嘆と、
「もう春になったのか」という疑問。
しかし、この場合の疑問と詠嘆は、なんとなく似ているような気がする。
あまり文法にこだわるのはよくないかも知れない。
われわれ日本人は、純粋に、「春なれや」は「春なれや」と感じた方がいいような気がする。いちいち、文法的に、とか考えていると、せっかくの言葉が単なる記号に成り下がる。
「音楽は言葉が届かない深い感情を動かす」
とよく言うが、言葉も、意味以上の響きがあると思う。
例えば、この句を一つとっても、
「春が来た可能性があると言えるかも知れないな。その山の名前は定かではないが、早朝に霞がかかっていた」
こんな風に言ってしまうと全く風情がない。
春なれや名もなき山の朝霞
言葉は美しく並べることにより、言葉以上の価値を持つ。
楷書で書くとこうなる。パイロット Vコーン 赤