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自己責任論はどこまで有効なのであろうか。

今朝yahooニュースを見て人質の一人が殺害されたと知った。同じ日本人として悲しいし残念でならない。こういう事態が起きた直後というのは感情的になってしまいまともに文章が書けない。

以下の文章は昨日、以前投稿した「イスラム国人質救出の解決策。資金援助をやめるっていうのはどう?」のコメントに返信しながら、思うところ書いたものである。なので冷静というか、今読み返せば冷たくさえ感じる。しかし、自己責任論を感情的に受け入れられないことを、今日のニュースのみて確認した。同胞である日本人と、外国人の人質では、殺害されたときに感じる思いが異なる。

おそらく感情の原因は、外国人ならばその責任は当該外国に負わせることが出来るのであるが、日本人であるならば、同じ日本人として負わなければならないある種の責任のようなものを感じているのだと思う。自己責任論が正しいのであれば、日本人であれ外人であれ受ける感覚は同じでなければならないはずなのに。

昨日書いた自己責任論は以下の通りである。


自己責任論はどこまで有効なのであろうか。

 

自己責任論とは、結果を予測することが可能であったのだから、その結果起こる全ての責任は自らが引き受けるべき、ということだ。

自由主義者は他者の権利を侵害しない限りにおいて、個人は無限の権利を有すると解釈する。極端な例は、食人を許容するかというものがある。

純粋に人を食べたい人間と、純粋に人に食べられたい人間がいて、この二者の間に合意が成立したら食人は許されるかという問題。

自殺の問題もそうだ。完全に人に迷惑をかけない方法でならば、自殺を許容してよいのか。もしくは、合意による殺人(自殺幇助)は許容されるべきかという問題。

自己責任論によるならば、食人も自殺もOKということになる。他者に迷惑をかけないのであれば、だれがどういう理屈で文句をつければいいのだろうか? AさんがBさんを食べることによってあなたにどういう不利益が生じる?

しかし、自由主義、自己責任論でない立場からなら批判することは可能だ。不利益かどうかという問題ではない。食人などというおぞましい行為は社会的に許容されるべきではない。人間が人間を食べること自体が許せない、といった具合に。

自由主義的立場、自己責任的立場からすれば、自殺幇助のどこが悪いのか皆目検討がつかないだろうが、我が国などでは法律化され罰則の対象となっている。自殺幇助が合法な国もある。

なんでもかんでも法律化するのは昨今の悪弊だが、紛争地域渡航禁止法などがあれば、今回の件も「違法」の二文字で片付いた。逆に昨年IS国に行こうとした大学生などは「私戦予備及び陰謀罪」でしょっ引かれている。

さて、もし自己責任が正しいのであれば、上記のような法律は間違えている。なんとなれば、紛争地域に渡航するのは個人の自由であり自らの責任の範疇なので政府が規制することは出来ない。

もちろん、日本には上記のような法律はない。ならば、合法だからなにをしてもいいのか、自己責任ならばなにをしてもいいのかといえばそんなことはない。

自分の結論は以下の通りである。人質となった方々は自己責任なので人質に関して社会は責任を持たない、とは言えない。同様に、自己責任だから紛争地域に渡航するという理論も成り立たない。ジャーナリストの方は「全ては自分の責任」とビデオに残しているそうであるが、捕まった後の結果の責任など負えないのである。日本国民も日本政府も「はいそうですか。全てあなたの責任ですね。了解しました」などという国柄ではないのである。

身代金を払う払わないとかテロに屈する屈しないは、自己責任とは別の問題。