文学・文具・文化 趣味に死す!

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ジョナサン・ハイトの「社会はなぜ左と右にわかれるのか」四章

プラトンの「国家」から「正義それ自体が幸福をもたらすことを証明せよ」というグラウコンの話から始まる。

 

グラウコンはソクラテスに対し、

「世間では有徳と見なされているよこしまな男より、評判は悪いが公正な男の方がより幸福だと証明せよ」

という。

 

ソクラテスはポリスの例を出す。

「ポリスが利己主義者の坩堝にならないために哲学者による統治が必要だ。哲学者のみが真に善きものを追求する心構えを持っているからである。人間も同じで、哲学者=理性によって統治されることにより、真に善きものが追求される」

 

残念ながら説得力は弱い。

 

人間の心を考える上で、機能主義的に考える必要があるという。心臓の機能は循環システムの中で血液を循環させることであり、その点を考慮しなければ意味が無い。

 

人間の心も同じで、社会というシステムの中でどのような機能を有するかを考慮した方がいい。

 

結論は、グラウコン的な人間がほとんどだということである。人間は絶えず他人の評価を気にし、他人の評価のあるところでは善に振る舞おうとする。そして、この書物がこれまで述べてきたとおり、理性は感情を補完して、都合の良い介錯に持って行く。道徳的な思考は真理の探究というよりも、政治家の票集めに近いということだ。

 

イギリスでは議員に対しロンドンとカントリーに住む議員に対し、セカンドホームの維持費を公費から出していた。それは公開されていなかったので、多くの議員が出鱈目に使った。ボロい家をセカンドハウスとして登録して補修し終えると、また別の家をセカンドハウスとして補修する、そして売却する。

 

もちろん、すっぱ抜かれるとただちにそんな出鱈目は終わった。

 

面白かったのが、この自分の感情を補強する思考はグーグルによってその力を増してきたということだ。

 

一昔前、インターネットによって情報へのアクセスが容易になれば、情報の非対称性はなくなり、民主的により妥当な決定が可能になる、などという論理が広がった。

 

が、現実はインターネットの普及により、人々は自分の信じるものを補強することとなり、対立は深まるばかりである。

 

人は自分の信じたいものを信じる。まさにこれが、インターネットによって可能になったわけである。信じるものへの根拠は、グーグルにワードを打ち込めば次々と現れる。

 

どうように、反対するものに対する根拠も、グーグルで簡単に入手することが出来る。そして、誰もが賛否を明確に出来るようになり、対立は深まった。

 

 

社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学
 

 

カリモク60 マルニ60

カリモク60はカリモクロクマル、と読むという知識を以前の投稿でひけらかした。

 

カリモク60 - 文学・文具・文化 趣味に死す!

 

相変わらず、わたしは椅子を探しているわけであるが、その中でマルニ60というものが出てきた。マルニも家具屋である。

 

はて、マルニ60はなんと読むのかと探ればなんと「マルニロクマル」ではないか。どうも怪しい。さらに調査すると、60ヴィジョンなるコンセプトのもとに作られたものらしい。

60VISION

 

家具だけではなく、風呂桶とか腰掛けとか、乾パンまであった。

 

この世は知らないことだらけである。

 

60年代はマーケティングを無視して、メーカーが作りたいものを作っていた。その古き良き時代のものを現在に再現、というのがコンセプトらしい。

 

これが本当かどうかはわからない。マーケティングを無視していたというよりも、マーケティングの手法が確立していなかったので、結果、作りたいものを作らざるを得なかったのではなかろうか。

 

北欧の家具が面白いのは、デザイナーと職人が同一で、日本のようにデザイナーと職人が分業となっていないのだという。

 

これは、音楽にも言えることかも知れない。クラシック音楽は、もともと作曲家と演奏家は同一であったが、あるころから、作曲家と演奏家の分業が進んだ。その結果、つまらない作品ばかり生まれるようになり、演奏家と作曲家が同一のポップスが流行はじめた。

 

自分が弾かないとなると、理想ばかりが先行してとんでもないものが出来上がる。家具も同じで、自分で作らないとなると、とんでもないものをデザインしてしまうのだろうか?

 

 

 

北欧かぶれ、もう無理ぽ。

このブログでは最近頻繁に北欧家具の話をしてきた。

 

フィン・ユールだの、ハンス・ヨルゲンセン・ウェグナーだの、オーレ・ヴァンシャーだのほざいてきた。

 

だが、わたしは根本的に間違えていたようだ。

 

というのも、先日、ついに憧れのGE290に座ったのだが……。

 

そこで、思い出した。ハンス・J・ウェグナーは日頃より「典型的なデンマーク人と同じ体格である」ということを自慢していたという。自分でサイズを体感できるからである。

 

典型的なデンマーク人。まぁ、日本人よりはデカいだろう。

 

すぐにグーグルに打ち込んだ。

 

デンマーク人の平均身長】

 

いろいろなサイトで、いろいろ書かれているがどれも、

 

180cmオーバー!

 

デンマーク人は地球人の中で屈指のデカさを誇っている。恐竜で言えばブラキオサウルス級である。

 

ヴェロキラプトル程度の日本人が座るものではないのである。

 

GE290、まず、座面がデカすぎる。深く腰をかければ短足であるわたしは膝の裏側が支えてしまう。肘掛けも無理に腕をひろげないと肘をかけられない。

 

ぶっちゃけ、子どもが大人の椅子にちょこんと座っているようなもので、椅子そのものは滅茶苦茶格好いいが、端からみたら、全然格好良くないだろう。

 

基本、北欧家具、チェアは180cm越えの人間の為に作られている。

 

なるほど。だからこんなものがあるのである↓

Yチェア 日本サイズ (CH24) ビーチ材 ソープフィニッシュ ナチュラル ペーパーコード Carl Hansen & Sonsのヨーロッパサイズ | 北欧家具の通販 - 北欧家具.com

 

北欧チェアはそのデザインの素晴らしさに惚れたが、いざ座るとなると、サイズは考慮せざるを得ない。

 

リプロダクト品で、日本人サイズにダウンサイジング化したGE290とかを作ったら売れるのではなかろうか。

 

 

ハンス・ウェグナーの椅子100 (コロナ・ブックス)

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