文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

先日に引き続いて、華麗なるギャツビー(2013)を観た

 

 

 ネタバレあり。

 

話の内容は同じであるが、こっちではニックが精神病院に入っていて、そこで回想するという形が取られている。

1974版との違いは、ギャツビーが死んだところで話が終わっているところ。本当はギャツビーの親父が尋ねてくるところとかも撮影されていたのだが、敢えてカット。たしかに、死んで終わりの方がすっきりする。

そのせいで、ジョーダンとかマフィアのボスとかが端役になってしまっている。

ファッションはブルックスブラザーズが担当しているとのことである。シングルスーツにピークドラペルのジャケットばかりというのも気になった。

ニックがまったくお洒落じゃないのも気になった。似合っていないのである。「映画の衣装を着ています」という雰囲気が全身から溢れている。

こちらは映像全体が漫画チックでアクション映画の雰囲気がある。1974年版があるので、それとコントラストを付けなければならないという理由もあったのかもしれない。しかし、あの音楽は興醒めである。完全に1920年台を無視している。いっそのこと舞台背景を現在にすればよかったのかとも思う。しかし、それをやると現代版ロミオとジュリエットのデカプリオと被ってしまう。難しいものだ。

原作を読んでないのでわからないのであるが、例のシャツのシーンで、デイジーが泣いてしまうのを五年の空白のせいにしてしまっている。そうかも知れないが、あれはシャツの美しさに感動して泣いたことにしないと、あのシーンの意味がなくなってしまう。

一番気になったのが、デイジーが修理屋の奥さんをはね飛ばしたシーンが出てしまっていること。また、デイジーがそれをトムに話しているのが出てしまっているところ。これが1974年版と内容的に一番異なる所ではなかろうか。1974年版では、デイジーがはねたのか、ギャツビーがはねたのか、実際の所は観客にはわからないように描かれている。だから、もしかしたら本当はギャツビーがはねたんじゃね? というような憶測も成り立つ。だからこそ、ギャツビーの死後、ニックはトムとデイジーと会って、その時トムとデイジーは気軽に話しかけてくるのも納得がいくわけだ。トムは本当にギャツビーがはねたと信じているという憶測の成り立つ。わたしは、1974年の方が奥の深い楽しみ方が出来ると思った。

 

yoshinori-hoshi.hatenadiary.jp

ドラゴンタトゥーの女 を観た。

 

 

ドラゴンタトゥーの女とはまたけったいな邦題を付けたなぁ、とおもって原題を確認したら、The Girl with the Dragon Tattooでそのまんまだった。

ダニエル・クレイグが観たいだけだったので、内容にはさしたる期待はしていなかったのだけれども、意外や意外、本格スリラーであった。

個人的にはルーニー・マーラがあんなイカレタキャラではなく、そのまんまの美少女キャラでやってくれた方が絶対楽しめたと思う。

ルーニー・マーラはスーパーハカーなだけなので、本来ならアキバ系男子が演じた方がよかったのではなかろうか。なんとも残念である。ちなみに、ドラゴンタトゥーは本作とはなんら関係がない。

ネタバレ注意

クレイグはジャーナリストで、やっつけようとしていた企業のCEOに嵌められて、偽ニュースを流して訴えられる。永田の偽メール問題みたいな感じ。

窮地に陥っていると、大富豪が姪っ子を探して欲しいと依頼してくる。クレイグがやっつけようとしていたCEOは大富豪の元部下で、大富豪はCEOの弱味を握っているという。見事、姪っ子を発見したらCEOの情報をくれるという。

そこで、クレイグは姪っ子捜しに乗り出すが、アシスタントが必要になる。そのアシスタントがルーニー・マーラ演じるスーパーハカーなのだ。

姪っ子が消えた当日の写真をいろいろ洗い出し調べていると、なんといい人だと思ってた人が実は犯人で、クレイグは捕まってしまう。ハカーが助けてくれるのだが、犯人は姪っ子を殺していない。

姪っ子はどこだという話になり、姪っ子の親友のPCをハッキングすると、なんと親友自体が姪っ子だったという。

こうやって書くと面白くないが、観ている最中はハラハラしながら観られる。クレイグはどうも007の印象が強くて、おろおろしているシーンとかは観ていられない。困ったものだ。

華麗なるギャツビー(1974) を観た

 

華麗なるギャツビー [DVD]

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シャツの項を書くにあたり、落合氏のギャツビー論を思い出した。氏のいくつかの著書で触れられているが、「男の服装・お洒落の基本」の第10章「シャツのエレガンス」ではことさら細かく触れられている。

 

男の服装 お洒落の基本

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ギャツビーがシャツを次々投げて、デイジーが「こんな美しいシャツ見たことない」といって感極まった、かどうかは謎なのだが、泣くシーンがある。あのシーンのシャツの舞い方を例に、氏は立体的な縫製や生地の質を語るのである。

TSUTAYAにはデカプリオのギャツビーはあるのであるが、レッドフォードのがない。仕方ないのでamazonで199円支払い観た次第である。最近のプライムは邦画ばかりが増えて洋画が少ないような気がする。007などはほとんど観られなくなってしまったし。

 

ネタバレなし。注意不要。

 

一番気になったのが、ノークールビズである。夏の話であり、東京ほどではないにしろかなり暑いはず。なのに、紳士たちはみんな三つ揃え。汗をだらだら流しながら着込んでいるのだ。あんなに汗をだらだら垂らしても上着やベストを着続けるのかと感動した。

スーツは明るい色を選んでいる。ニックもギャツビーも白のスーツを着ている。白は熱を吸収しないから涼しいと言う。トムも薄い色のスーツを着ていた。

ギャツビーはイギリススタイルのスーツを着ている。ニックは対照的にアメリカンで、カラーバーを多用している。

ギャツビーの着こなしもさることながら、わたしが自然で格好いいと思ったのはニックの着こなしである。初めてギャツビーのパーティーに行くブレザースタイルも格好いい。タイもちゃんとレップタイを絞めている。ラルフローレンが衣装提供をしているので、ブレザースタイルなどは思い通りに提供できたのではないだろうか。

ジュエリーはカルティエなので、ひょっとしてらカラーバーもカルティエ製かもしれない。

さて、シャツのシーンであるが落合氏は前掲書168ページで、「レッドフォードのシャツはターンブル&アッサー製だという説が強いが、ここで特定するのは控える」と書いている。こういうページがあったのでターンブル&アッサーで間違いないと思う。少なくとも、箱は山積みされていた。

GLOBER | ターンブル&アッサー/Turnbull&Asser 華麗なるギャツビー

 

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ただ、タグが僅かに映るシーンがあったのだが、現行のタグとは異なるようで、ターンブル&アッサーかどうか確認できなかった。もしわかる人がいたら教えて欲しい。

というわけで、ダンディズム的にはお腹いっぱいの映画であった。

 

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