文学・文具・文化 趣味に死す!

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先日に引き続いて、華麗なるギャツビー(2013)を観た

 

 

 ネタバレあり。

 

話の内容は同じであるが、こっちではニックが精神病院に入っていて、そこで回想するという形が取られている。

1974版との違いは、ギャツビーが死んだところで話が終わっているところ。本当はギャツビーの親父が尋ねてくるところとかも撮影されていたのだが、敢えてカット。たしかに、死んで終わりの方がすっきりする。

そのせいで、ジョーダンとかマフィアのボスとかが端役になってしまっている。

ファッションはブルックスブラザーズが担当しているとのことである。シングルスーツにピークドラペルのジャケットばかりというのも気になった。

ニックがまったくお洒落じゃないのも気になった。似合っていないのである。「映画の衣装を着ています」という雰囲気が全身から溢れている。

こちらは映像全体が漫画チックでアクション映画の雰囲気がある。1974年版があるので、それとコントラストを付けなければならないという理由もあったのかもしれない。しかし、あの音楽は興醒めである。完全に1920年台を無視している。いっそのこと舞台背景を現在にすればよかったのかとも思う。しかし、それをやると現代版ロミオとジュリエットのデカプリオと被ってしまう。難しいものだ。

原作を読んでないのでわからないのであるが、例のシャツのシーンで、デイジーが泣いてしまうのを五年の空白のせいにしてしまっている。そうかも知れないが、あれはシャツの美しさに感動して泣いたことにしないと、あのシーンの意味がなくなってしまう。

一番気になったのが、デイジーが修理屋の奥さんをはね飛ばしたシーンが出てしまっていること。また、デイジーがそれをトムに話しているのが出てしまっているところ。これが1974年版と内容的に一番異なる所ではなかろうか。1974年版では、デイジーがはねたのか、ギャツビーがはねたのか、実際の所は観客にはわからないように描かれている。だから、もしかしたら本当はギャツビーがはねたんじゃね? というような憶測も成り立つ。だからこそ、ギャツビーの死後、ニックはトムとデイジーと会って、その時トムとデイジーは気軽に話しかけてくるのも納得がいくわけだ。トムは本当にギャツビーがはねたと信じているという憶測の成り立つ。わたしは、1974年の方が奥の深い楽しみ方が出来ると思った。

 

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