わたしの子どもの頃の最も明白でかつ心から望み、今考えてみてもそれが子どもの戯れ言(ウルトラマンになりたい!)などではなく、現実に即した夢であるといえるものは、「レーサー」であった。
わたしは子どもの頃レーサーになりたかったのである。それほど裕福ではなかったが、親はだいたいわたしの望むこと(それほど多くを望んだわけではない)をかなえてくれた。
しかし、レーサーだけはかたくなに否であった。理由は危険だから。というのと、親自体が車に移動手段以上の価値を見出していなかったというのも大きいだろう。
当時はまだネットなどないので、わたしはレース系の雑誌をかって、そこに書いてあるカートスクールに入りたい、と説得を試みたが徒労に終わった。
カート教室はべらぼうに高いわけではないが子どもが払える費用ではない。そこで、わたしは満たされぬ現実への当てつけで、車のことを考えないようにしたのだ。必要に迫られて買った車は中古のプリウス一台である。
しかし、わたしも不惑の歳となり惑わぬどころか、これまでにないほど惑っている。というのも、この歳になると朧気ながら死がちらついてくる。このままでは、わたしはなにもせぬまま、それこそ、満たされぬ現実にどっぷりと浸ったまま、人生を終えるという恐怖。堪らぬ。
わたしはこれまで流れる自然にそれほど逆らうことなく、無難に生きてきたつもりである。だが、ここに来て、このままおっ死んでしまうのが堪らなく思えてきたのだ。