映画や小説でたびたびこのセリフが登場する。村山由佳氏には同名の作品もある。
自分はこのセリフを聞いたとき、別のセリフがオーバーラップするのだ。
美味しいコーヒーのいれ方を教えてあげよう=人生の真実を教えてあげよう
結論を最初に述べると、この二つはどちらも現実的にはあり得ないことである。つまり、これらのセリフは宗教的、もしくは精神性を多分に含んだセリフである。
美味しいコーヒーのいれ方を教えてあげよう、と意味深に言われたとき、人は本やネットに載ってる情報、例えば蒸らすとか、温度は低め、とかを想像しない。ある究極の一杯を想像するはずである。
しかし、論理的に究極の一杯は存在しない。仮に数学的厳密性を秘めた究極の一杯があったとしても、豆のコンディション、ポットの温度、外気温、それぞれが無限に干渉する現実世界では、数学的厳密性は必ず誤差が生じる。また、人の味覚は千差万別だというやっかいな事情も存在する。
仮に人生の真実というものがあったとする。しかし、同様の理由で人々はそれを現実化出来ない。現実化できないものは宗教的仮説にすぎない。だから、美味しいコーヒーのいれ方というのも、宗教的仮説の臭いを感じるのである。
ところで、amazonがこのブログを監視しているらしい。
昨日、kindleからまだペンタゴンの地下見取図が発売されていないと書いたら、今日発売された。
偶然も重なれば必然だぜ! 必然もたまになら偶然だぜ!