Yoshinori Hoshi Official blog

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログです。映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係など、思うところをほぼ毎日更新してます。

わらわ 童

 

五歳児がふりかけに入っている魚を見て、「これ小魚って言うんだよ」と言っていた。

「なんで小魚なの?」
 と聞くと、
「分からない」という。

「ほら、考えてご覧。小さい猫は子猫、小さい犬は子犬」
「あ、小さい魚!」
「お前は小さいからコワッパだな」

などと言っていたら、同居人が、
「ワッパってなに?」

はて。ワッパとはなんであろうか。調べてみたら、わらわ(童)の促音便とのこと。

では、わらわ、わらべ、とはどういう意味かというと、「わらわべ」とか「わらわら」など、髪を結っていない様子を言うらしい。

コワッパはワラベのもっと小さなやつなので、さしずめ、赤ちゃんだろうか? それとも、馬鹿にする「こ」が付いているだけだろうか。「こ」はもともと小さいもの、という意味で、子、小、粉、は同じ語源とのこと。うーん、こむずかしい。

 

 

日本語源広辞典

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パプリカを観た

筒井康隆原作の映画である。他人と夢を共有でき、他人の夢に入り込む機械が盗まれる。その機械を使っているものの夢に入り込み、犯人を捜す、というあらすじ。

わたしは夢について色々な解釈をしてきたが、この映画に出てくる夢は、夢か現実、それが実に曖昧に描かれている。つまり、現実は夢の延長で、夢は現実の延長なのだ。そもそも、夢と現実は境界や主従関係などなく、夢は現実の中で起こることとも言えるし、現実が夢の中で起こっているとも解釈できる。なかなかそう解釈するのは難しいが。

インセプションという映画があり、これも夢と現実の境が曖昧だったり、夢のさらに夢の中に入り込むなど、いろいろ手が込んでいる。お気に入りの映画である。おすすめである。

本作は映像が圧倒的だ。この圧倒的な映像は小説でどのようになっているのか、興味のあるところ。amazon書評でも非常に高評価なので見つけたら読んでみたい。

 

パプリカ [Blu-ray]

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パプリカ (新潮文庫)

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インセプション [Blu-ray]

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共感や感情移入が人間的だと?

 
昨日の投稿の最後でこんなことを書いた。
「(AIやロボットでも)自らの機体やプログラムの存在の重要度を数値化して、それを他の機体の存在やプログラムの重要度の数値と比較して、他の機体やプログラムを温存する行動を起こせないだろうか。つまり、それがsympahtyでありempathyであるような気がするのであるが。」
 
これだけ読むと、人間も結局は相手の表情や言動を定量化して、sympathyやempathyを発動している、とも読める。
 
このブログはわたしの脳内ダダ漏れブログなので、その時はそんな風に思考していたのかもしれないが、あらためて、「人間的」を考えたときに、sympathyやempathyは副次的なもので、もっと本質的なものがあるような気がしてきた。
 
というのも、アダルトビデオなどを渉猟するに、陵辱ものやSMもの、鬼畜系、などなど、現実で行ってしまえば即お縄のような嗜好が多々散見される。
 
べつにこれは非現実だけの世界ではなく、松戸のPTA会長のように現実にやってしまうものもいて、sym、empathyは「他人の境遇に同情して他人を助ける能力」であると同時に、「他人の不幸に興奮して他人を害する能力」とも定義出来るわけで、とすると、他人の不幸度を定量化した(sym,empathyを発動した)ところで、行動は一定ではないどころか、180度の広がりを持っている。
 
だとすると、人間的なAIであればあるほど、松戸のPTA会長のようなAIもあり得るわけである。一つの人間的キーワードに倒錯した行動というのが数えられないかと思った次第。

sympathyとempathy

sympathyとempathyは日本語では両方とも「共感」と訳してしまうが、この二つはもちろんちがう言葉である。
 
pathyは感情や苦痛や療法という意味の接尾語。
symは同様にとか共に、とかの意味。
emはその性質にする、させる、みたいな意味。
 
辞書では、sympathyよりもempathyの方が強力、と載っていた。他にも、瀬名氏の本にも書いてあるとおり、sympathyは同情で、empathyは相手の感情を理解して、援助の手をさしのべる、という違いがある。
 
さて、わたしが問題にしたいのは、sympathyなしのempathyはあり得るだろうか。という問いだ。相手を見て、微塵も可哀想だなどとは感じず、しかし、困っているだろうと推察して援助の手をさしのべる。それはあり得ることだろうか。
 
普通の人間は、困っているだろうと推察出来るのは、自らの立場に置き換えることが出来るからで有り、その時点でsympathyが発生してしまっている。
 
もし、お助けロボットを作るとするならば、相手の表情や仕草を数値化して、一定の数値を超えたら「May I help you?」と言わせるようなロボだ。
 
ただ、問題はこの場合個別具体的であり、包括的な社会問題に対し同情を寄せられるかという疑問が残る。そんなのを数値化するのは無理であろう。
 
とすると、自らの機体やプログラムの存在の重要度を数値化して、それを他の機体の存在やプログラムの重要度の数値と比較して、他の機体やプログラムを温存する行動を起こせないだろうか。つまり、それがsympahtyでありempathyであるような気がするのであるが。
 

 

SF作家 瀬名秀明が説く!  さあ今から未来についてはなそう

SF作家 瀬名秀明が説く! さあ今から未来についてはなそう

 

         

生物を作るAI

yoshinori-hoshi.hatenadiary.jp

 

この投稿以来、波はあるもののSFに対する憧憬は以前健在である。一年以上経っているわけだ。

とりわけAIやロボットに興味がある。全般的に人間を超えるAIは可能なのか。これを考えると、人間とはなにかの堂々巡りである。

 

瀬名秀明氏の「さあ今から未来についてはなそう」のなかに、sympathとempathyの違いというのが語られており、この二つをどうやってAIに覚えさせるか、という下りでふと感じたのが、

 

AIもそのうち自身の限界に気がついて、有機的生命体を作るのではないだろうか、ということだ。AIが作る生命。AIが作る人間。

 

まだAIも生まれていないのに少し気が早いかもしれないが、次ぎに次ぎの時代もまた楽しみである。

 

 

SF作家 瀬名秀明が説く!  さあ今から未来についてはなそう

SF作家 瀬名秀明が説く! さあ今から未来についてはなそう

 

 

どうも、とは

よく使う「どうも」の意味が今ひとつ分からない
わたしはよく「どうも」という言葉を使う。
ありがとう、という意味で使う。どうもどうも、みたいに。
語源は「どうしても」が詰まったものだという。「どうもわからない」=「どうしてもわからない」この言い換えは可能である。
どうもありがとう、を、どうしてもありがとう、と言い換えられるかはびみょうである。
 
「どう」は漢字で書くと「如何」で疑問副詞であるようだ。どうする? 単に「どう?」と聞いたりする。
 
ただ、「どうかお願いします」「どうぞよろしく」「どうせわからない」などはどういう意味だろうか。ナポレオンだった。
 
言葉とは何気なく使っているが、語源とかを突き止めようとすると実にやっかいである。さらに、意味も変わっていくし、読み方も変わっていく。結局、人間が作るものに確かなものなど一つもない。
 
言葉さえいい加減だとしたら、記録されたものも、記録された時点でなにか違うものとなってしまうということか。

 

日本語源広辞典

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198円の予定が3,780円になってしまった件

 
車を走らせていたけど、メールを打つ必要が出て、どっか停められないかと見渡すと「やまや」が出てきて、停まったついでにビールでも買おうかなと店内に入ったら、目の前に日本酒コーナーが広がっていて、日本酒が飲みたくなってしまった。
 
たまには奮発して大七純米酒でも買おうかなと。この時点で2,480円。高いなぁ、と思いつつ、他のも見ていると、化粧箱に入って、やけに立派な日本酒が1,480円。安い! これにしようとレジに持って行くと、レジで打たれた金額が3,780円。
「えっ!」となったわけで、やめてもよかったわけであるが、これもなにかの縁だと思って連れて帰った。
 
鶴亀の純米酒である。常温で飲んだら、その美味いこと! 新しい世界が開けた感じだ。高くて泣きそうではあるが、この美味さは本物で、味わえたのは僥倖である。縁は大切にしないとね。
 

ちなみにわたしが買ったのは鳳凰の絵が描いてあるやつだ。 

越後鶴亀 純米 1800ml瓶 [新潟県]

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