文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

わらわ 童

 

五歳児がふりかけに入っている魚を見て、「これ小魚って言うんだよ」と言っていた。

「なんで小魚なの?」
 と聞くと、
「分からない」という。

「ほら、考えてご覧。小さい猫は子猫、小さい犬は子犬」
「あ、小さい魚!」
「お前は小さいからコワッパだな」

などと言っていたら、同居人が、
「ワッパってなに?」

はて。ワッパとはなんであろうか。調べてみたら、わらわ(童)の促音便とのこと。

では、わらわ、わらべ、とはどういう意味かというと、「わらわべ」とか「わらわら」など、髪を結っていない様子を言うらしい。

コワッパはワラベのもっと小さなやつなので、さしずめ、赤ちゃんだろうか? それとも、馬鹿にする「こ」が付いているだけだろうか。「こ」はもともと小さいもの、という意味で、子、小、粉、は同じ語源とのこと。うーん、こむずかしい。

 

 

日本語源広辞典

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パプリカを観た

筒井康隆原作の映画である。他人と夢を共有でき、他人の夢に入り込む機械が盗まれる。その機械を使っているものの夢に入り込み、犯人を捜す、というあらすじ。

わたしは夢について色々な解釈をしてきたが、この映画に出てくる夢は、夢か現実、それが実に曖昧に描かれている。つまり、現実は夢の延長で、夢は現実の延長なのだ。そもそも、夢と現実は境界や主従関係などなく、夢は現実の中で起こることとも言えるし、現実が夢の中で起こっているとも解釈できる。なかなかそう解釈するのは難しいが。

インセプションという映画があり、これも夢と現実の境が曖昧だったり、夢のさらに夢の中に入り込むなど、いろいろ手が込んでいる。お気に入りの映画である。おすすめである。

本作は映像が圧倒的だ。この圧倒的な映像は小説でどのようになっているのか、興味のあるところ。amazon書評でも非常に高評価なので見つけたら読んでみたい。

 

パプリカ [Blu-ray]

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パプリカ (新潮文庫)

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インセプション [Blu-ray]

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共感や感情移入が人間的だと?

 
昨日の投稿の最後でこんなことを書いた。
「(AIやロボットでも)自らの機体やプログラムの存在の重要度を数値化して、それを他の機体の存在やプログラムの重要度の数値と比較して、他の機体やプログラムを温存する行動を起こせないだろうか。つまり、それがsympahtyでありempathyであるような気がするのであるが。」
 
これだけ読むと、人間も結局は相手の表情や言動を定量化して、sympathyやempathyを発動している、とも読める。
 
このブログはわたしの脳内ダダ漏れブログなので、その時はそんな風に思考していたのかもしれないが、あらためて、「人間的」を考えたときに、sympathyやempathyは副次的なもので、もっと本質的なものがあるような気がしてきた。
 
というのも、アダルトビデオなどを渉猟するに、陵辱ものやSMもの、鬼畜系、などなど、現実で行ってしまえば即お縄のような嗜好が多々散見される。
 
べつにこれは非現実だけの世界ではなく、松戸のPTA会長のように現実にやってしまうものもいて、sym、empathyは「他人の境遇に同情して他人を助ける能力」であると同時に、「他人の不幸に興奮して他人を害する能力」とも定義出来るわけで、とすると、他人の不幸度を定量化した(sym,empathyを発動した)ところで、行動は一定ではないどころか、180度の広がりを持っている。
 
だとすると、人間的なAIであればあるほど、松戸のPTA会長のようなAIもあり得るわけである。一つの人間的キーワードに倒錯した行動というのが数えられないかと思った次第。