文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

sympathyとempathy

sympathyとempathyは日本語では両方とも「共感」と訳してしまうが、この二つはもちろんちがう言葉である。
 
pathyは感情や苦痛や療法という意味の接尾語。
symは同様にとか共に、とかの意味。
emはその性質にする、させる、みたいな意味。
 
辞書では、sympathyよりもempathyの方が強力、と載っていた。他にも、瀬名氏の本にも書いてあるとおり、sympathyは同情で、empathyは相手の感情を理解して、援助の手をさしのべる、という違いがある。
 
さて、わたしが問題にしたいのは、sympathyなしのempathyはあり得るだろうか。という問いだ。相手を見て、微塵も可哀想だなどとは感じず、しかし、困っているだろうと推察して援助の手をさしのべる。それはあり得ることだろうか。
 
普通の人間は、困っているだろうと推察出来るのは、自らの立場に置き換えることが出来るからで有り、その時点でsympathyが発生してしまっている。
 
もし、お助けロボットを作るとするならば、相手の表情や仕草を数値化して、一定の数値を超えたら「May I help you?」と言わせるようなロボだ。
 
ただ、問題はこの場合個別具体的であり、包括的な社会問題に対し同情を寄せられるかという疑問が残る。そんなのを数値化するのは無理であろう。
 
とすると、自らの機体やプログラムの存在の重要度を数値化して、それを他の機体の存在やプログラムの重要度の数値と比較して、他の機体やプログラムを温存する行動を起こせないだろうか。つまり、それがsympahtyでありempathyであるような気がするのであるが。
 

 

SF作家 瀬名秀明が説く!  さあ今から未来についてはなそう

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生物を作るAI

yoshinori-hoshi.hatenadiary.jp

 

この投稿以来、波はあるもののSFに対する憧憬は以前健在である。一年以上経っているわけだ。

とりわけAIやロボットに興味がある。全般的に人間を超えるAIは可能なのか。これを考えると、人間とはなにかの堂々巡りである。

 

瀬名秀明氏の「さあ今から未来についてはなそう」のなかに、sympathとempathyの違いというのが語られており、この二つをどうやってAIに覚えさせるか、という下りでふと感じたのが、

 

AIもそのうち自身の限界に気がついて、有機的生命体を作るのではないだろうか、ということだ。AIが作る生命。AIが作る人間。

 

まだAIも生まれていないのに少し気が早いかもしれないが、次ぎに次ぎの時代もまた楽しみである。

 

 

SF作家 瀬名秀明が説く!  さあ今から未来についてはなそう

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どうも、とは

よく使う「どうも」の意味が今ひとつ分からない
わたしはよく「どうも」という言葉を使う。
ありがとう、という意味で使う。どうもどうも、みたいに。
語源は「どうしても」が詰まったものだという。「どうもわからない」=「どうしてもわからない」この言い換えは可能である。
どうもありがとう、を、どうしてもありがとう、と言い換えられるかはびみょうである。
 
「どう」は漢字で書くと「如何」で疑問副詞であるようだ。どうする? 単に「どう?」と聞いたりする。
 
ただ、「どうかお願いします」「どうぞよろしく」「どうせわからない」などはどういう意味だろうか。ナポレオンだった。
 
言葉とは何気なく使っているが、語源とかを突き止めようとすると実にやっかいである。さらに、意味も変わっていくし、読み方も変わっていく。結局、人間が作るものに確かなものなど一つもない。
 
言葉さえいい加減だとしたら、記録されたものも、記録された時点でなにか違うものとなってしまうということか。

 

日本語源広辞典

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