酒は飲んでしまったが、昨日のうちに読み終えて、今日は六冊目、最終冊に突入した。
ちなみに、六冊目はちょっと薄い。
太平記の世界は狂っている。敵が味方になり、味方が敵になり、すぐに内輪揉めして、敵に付いたと思ったら仲直りして、また揉めて敵になる。
北条だったやつが、後醍醐になり、後醍醐だったやつが尊氏になり、尊氏だったやつが義直になり、南朝になり、北朝に戻り、また南朝になり、そんな連中ばかりである。
どうして太平記が三国志のように市民権を持たないかよくわかる。まず、キャラがダサすぎるのである。忠節とは無縁の連中が己の欲望のために好き勝手やってるのが太平記である。
太平記の世界は立身出世我利我欲の世界で、大義などくそ食らえなのだ。一人だけ後醍醐に忠節を尽くした楠がバカみたいに見える。
だから、逆に人間くさいというところもある。子供の悪戯のような謀が横行して、嵌めて嵌められを繰り返す。
江戸明治の儒教的教育というものが如何に現在の日本人の倫理観を作り上げたかよくわかる。
やはり、南朝と北朝という権威が二つあるところが問題、と思っていたがどうもちょっと違うらしい。
もともと太平記を読み始めたのは上皇と天皇という二つの権力が生じたときにどうなるのか、歴史はどのように決着を付けたのか知りたかったから。
南朝と北朝についての考察は六冊目を読み終えたらやろうと思う。