文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

「良い大学を出て結婚して家庭を築くこと」は幸福だろうか

さすがに最近は立身出世が人生の目標であり、教師が促すべきこと。などという思想は薄れてきている。おそらく、立身出世は富国強兵につながる思想なので教育の場から排除された。

しかし、未だに幸せな人生は「良い大学を出て結婚して家庭を築くこと」という思想は支配的で、政治の場はリベラル、保守、問わずその方向で票集めを展開している。例えば、奨学金制度の拡充。結婚して子育て可能な収入の実現を目指す、などがそれである。

だが、わたしは某野党の施策である「格差是正や子供の貧困対策が受けない理由」で彼らが幸福を収入の多寡とイコールで考えているからだという仮説を立てた。

格差是正や子供の貧困対策が受けない理由。某野党の代表選で思ったこと。 - Yoshinori Hoshi Official blog

そして、この記事はわたしの説に根拠を与えてくれている。

「結婚すれば幸せになれる」は幻想でしかない | 幻冬舎plus | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

以下引用

 

調査の結果、実際には、「結婚している人」のうち「不幸を感じている人」は23%であったのに対し、「独身の人」で「不幸を感じている人」は、わずか21%しかいなかったのです。つまり、「結婚している人」の方が、「独身の人」よりも「自分は不幸だ」と感じている人が多いのです!!

結婚は、どんな人にとっても、簡単ではないということがよくわかる結果です。

独身の方はよく「結婚すれば、幸せになれる」と思い込みがちですが、決してそんなことはありません。

「結婚」すると、人生は激変します。子どもを育てる、パートナーの親の介護をする、家事をする、なにごとも自分一人では決められなくなる。自分で自由に使える時間が途端に少なくなる、自分で稼いだお金なのに、それをどう使うかを、自分で決めることができなくなる……。

 

「結婚はしてもしなくても後悔する」という言葉が好きであったが、なんと結婚している方が不幸を感じているとは、悲しい現実である。しかし、逆に読めば、結婚している人の77%、独身の79%は幸せということである。

故に、「良い大学を出て結婚して家庭を築くこと」などという思想は人の幸福とは関係ないということだ。

7オムニのワイシャツをまた買ってしまった。

クレリックとカッタウェイ。

どっちも綿100%

クレリックとカッタウェイ、どっちを買おうか迷って、カッタウェイに決めて籠に入れると、もう一つ買うと20%offとのこと。クレリックも買ってしまった。

まだ水を入れていないので硬い。

というか、7オムニのシャツは硬いな。安すぎるから仕方ないか。

2600円の値札があるが、ネット価格は1600円だ。

裏前立てとか、ポケットなしとか、バリエーションを増やしてくれると有り難いかも。

 

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iyec.omni7.jp

ハッピーエンドの選び方 を観た

 

 

もちろん原題は違う。ヘブライ語? なのでよく分からないが「良い死」という意味らしい。

 

ジャケットと中身が違いすぎる。煽り文と中身が違いすぎる。

このサイトも映画の中身とはかけ離れている。

happyend.asmik-ace.co.jp

 

さて、がっつりネタバレ有りで書く。ネタバレしたところで、観る人の解釈によりいかようにも観られるので、その点は安心していい。

 

この作品は尊厳死を扱ったものだ。ケヴォーキアン博士事件を調べてもらえばわかるが、それと同じことをしている。ケヴォーキアン博士の作った自殺幇助装置を作り、病で苦しむ人、痴呆で苦しむ人がそれぞれ自死を選ぶその過程や、周囲の感情が克明に描かれる。

 

老人ホームで暮らす夫婦が主人公。夫の方が自殺幇助装置をつくり、苦しむ友人たちに貸し出す。妻はそれを殺人であると激しく咎める。

 

自殺幇助装置はボタンを押すとまず麻酔が流れ、意識を失ったところで劇薬が流れて死亡するという構造。ボタンを押すのは自殺者本人。もちろん意識もはっきりしていて、「病気で苦しむよりもわたしは死を選びます」と宣誓し周囲に別れの挨拶をすまし、そしてボタンを押して死ぬ。

 

最初は夫が自殺幇助賛成で、妻は反対だった。が、この妻は痴呆症で、その症状が徐々に悪化してくる。妻は自分が自分でなくなることを怖れて、自殺幇助装置を使おうとするが、夫は大反対して幇助装置を破壊してしまう。

 

ここが面白い。夫の最初の信念は自殺幇助は人助け、であったにもかかわらず、いざ妻が使おうとすると使わせない。この矛盾がこの作品の見所の一つだ。

 

生きることと死ぬことは人間に課せられた大きなテーマだ。そして、自殺は生きることと死ぬこと両方に跨がるテーマなのだ。生きるという選択肢の中で死を選択するのは、事故死や老衰とは違う意味がある。

 

この作品では、闘病生活に疲れて、どうせ余命幾ばくもないので死ぬ、という死と、痴呆によって自分が誰だかわからなくなるから死ぬ、という二つの自殺が扱われている。

 

この二つは一見同じように見えるが、わたしは別物だと思って興味深く観た。自分が誰だかわからなくなったとしても、そこには、誰だかわからない誰かが存在するわけで、それを消すというのは「自分」のエゴである。

 

夫はひょっとしたら、そのエゴにこそ反発したのではなかろうか。もし、妻がその他のような病苦の状態だったら、あっさり装置を使うのではなかろうか。つまり、妻にとっては痴呆によって自分が失われると感じるが、夫からみれば痴呆の妻もまた妻であるという解釈がなりたつ。

 

ハッピーエンドやコメディを想像してみてはいけない。ド鬱な映画である。しかし、おすすめする。

 

わたしの自殺を題材にした作品はこれ↓

 

死に神の死に頃?春と冬?

死に神の死に頃?春と冬?