文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

拙著新作! かぐや姫を好きになったら 発売開始!

ついについに、拙著新作、「かぐや姫を好きになったら」発売されました!

コピーをもう一度紹介。

 


援助交際をしているようだったり、跳び蹴りをくらわせてくれたりするけれども、僕は彼女のことが好きだった。

褐色の妹とは気が合った。二人乗りの自転車を限界までこぐ。僕の背中にしがみつく妹。僕たちは、血の通った兄妹よりも兄妹みたいだった。

彼女と妹は僕の世界の大切な構成要素だ。その二つが欠けてしまうとき、僕は僕の世界を維持できるのだろうか? 煙の出るチョコレートでも、発酵した麦茶でも、この気持ちを癒せないのだとしたら、想い出や感情も消してしまったほうが幸せなのだろうか?

 

ぜひ、ぜひ、試し読みだけでも読んでいただけたら幸甚!

 

電子書籍はほんと様々なところから様々なフォーマットで発売されてます。とりあえず、発見できたところのリンク張ります。

 

honto.jp

bookstore.yahoo.co.jp

7net.omni7.jp

galapagosstore.com

bookwalker.jp

book.dmm.com

通信の発達は旅行の本質を変えたか?

旅行の目的は気分転換なのだから、仕事のカバンがいくら使いやすくて、中身を移す手間もいらないからといって、そのまま持っていくべきではない。

せめてカバンくらい変えたいものである。変えられない物もある。眼鏡や財布や時計など。中でもたちが悪いのは携帯だ。携帯はハードだけではなくソフト面も休暇に仕事を持ち込む。偉大なる飛行機モードにすればいいが、なかなか飛行機モードを貫くには度胸がいる。いっそのこと、家に忘れるというのも手ではあるが、それはそれで落ち着かないし、一緒に行く連中と連絡を取ることも出来なくなる。

そうすると、気分を変えるには服飾品くらいしかないのである。靴を変え、服を変え、カバンを変えるくらいしか有効な手段がない。

テクノロジー、就中、通信の発達は人類に多大な便益をもたらしたが、気苦労が増えたのは間違いない。通信革命以前と以降では旅行の本質が変わったように思う。旅行は世俗の雑事からのがれることが出来たが、通信の発達のせいで旅行地においても雑事がつきまとう。

これは現代人の精神を蝕むものである。ということで、とりあえず夜まで飛行機モードにすることにした。

五歳児に分かるようダンディズムとは何かを説明せよ

このブログでダンディズムについて研究していた甲斐あってか、先日初めて、「星さんはダンディですよね」と言われた。

それが嬉しくて、「ダンディだって誉められちゃったよ」とおおよそダンディズムとは真逆の発言をしたら、五歳児に、

ダンディってなに?」と聞かれた。

「ほら、見て分からないか? 今日の服。お洒落で格好いいだろ?」
「あ、わかった。カッコイイってことね」

確かに、カッコイイはダンディズムの一面ではあるが、一面に過ぎない。むしろ、カッコイイだけではダンディではない。

「まぁ、格好いいってのもあるけど、それと同時に渋いんだよ」
「シブイって苦いってこと?」
「いや、渋いっていうのは味があるってこと」

五歳児は嬉しそうに持っていたラムネのお菓子を指して、

「あ、これ、味があるよ!」
「味があるってのと、味がするってのは違うんだな」
「違うの?」
「味があるってのは、深みがあるってことなんだ。つまり、言葉に出来ない微妙な部分を味って言う」

説明が深みにはまってもはや意味不明になっている。五歳児もこの話題に飽きてきた模様。

結論。五歳児にダンディズムは分からない。ダンディを理解している五歳児は五歳児ではない。言葉というのは意外に雑駁なもので、言葉以前の観念や共通の前提が膨大に存在してこそなり立つものだと思う。

だから、言葉を学ぶには、言葉以外の物を学ぶという、遠回りというか、通らなければならない道筋があるのだろう。

 

ダンディズムの系譜―男が憧れた男たち (新潮選書)

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