文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

「abさんご」は独特である

abさんごを読んでいる。文体も、平仮名であることも、内容も、すべて難解である。文体は実に特徴的である。まるで、web翻訳機にかけたようで、考えないと意味が読み取れない。いや、考えても意味が読み取れないことが多い。

文体と平仮名はどうにか我慢できるが、内容のちんぷんかんぷんなことけたたましく、脳みそが激しく揺さぶられるのが分かる。

比喩でも精神的な意味ででもなく、文字通り頭が痛くなった。明日あたり知恵熱が出るかもしれない。

最初の数ページはほんと意味不明で文字面を目で追うことしか出来なかった。普通読めば情景や趣旨が分かる物であるが、これはまったく分からないし情景も浮かばない。

しかし、数ページ読むと、空気の読めない家政婦が来て、一緒に食事をし始めて親子が困る。そんな下りが出てきて、初めて意味と情景がわかる。その安堵ときたら。

浅田次郎は小説の三条件として、面白いこと、美しいこと、分かりやすいこと、を上げている。この中で一番大切なのは分かりやすいことだろう。なんとなれば、分からなければ、面白いとも美しいとも感ぜられないからである。

abさんご芥川賞をとったことは良かった。もし受賞していなければ、この作品を読むことはなかっただろう。この作品は意味不明だが、文学の骨格のような物を見せつけてくれる。

 

 

abさんご

abさんご

 

 

鞄、かくあるべし。


久しぶりに鞄にオイルを塗った。だいたい2ヶ月に一回くらいだろうか。オイルを塗り立ての鞄は飴色に光り実に美しい。これを持ち歩くのは喜びである。

鞄は携えることが喜びとなるものがいい、と言ったのは落合氏である。鞄はとかく実用的な面が強いアイテムである。しかし、鞄も立派な装身具であり、苟もダンディズムを志すものにとっては、そうでなければならない。

服は寒さを凌ぐためだけに着るものではなく、靴は歩くためだけに履くのではなく、時計は時間を知るためだけに嵌めるのではないように、鞄はものを持ち運ぶためだけに携えるわけではない。

わたしは靴や鞄を手入れするのが好きである。義務的にやったことはない。靴や鞄を磨いているとき、それは至福の時間である。だから、靴も鞄も手入れが必要なものを好む。鞄ならば、ナイロンより革を好む。靴ならば、ガラスレザーよりもカーフを好む。

人間効率だけで、実用的というだけで生きるのではない。人間は美学のために生きる。ダンディズムとは一種の美学であり、美学は時として実用性や効率性とにらみ合うことがある。

美学と実用性の仲裁、それが人間の役目だ。

 

 

 

舞城を返してabさんごを借りてきた

abさんご芥川賞を取ったときに1ページ読んで挫折した作品だ。読めば分かるが読みにくい。漢字のない文章があんなにも読みにくいとは、ある意味新しい発見である。

日本ペンクラブyoutubeを最近よく聞いていて、その中で黒田さんの講演があった。あのひらがなばかりの理由は、意味を固定させないためだという。

このブログでも前に触れたが、例えば、「きく」という言葉があり、「聞く」と書けば受動的、「聴く」と書けば能動的意味となる。しかし、日本語の「きく」は「きく」以上でもなければ以下でもない。日本語の広がりを味わうには、本当は漢字でない方が良いのかもしれない。

会話も同じことで、われわれは漢字で会話をしているわけではない。文学のある種の本質を考えたとき、ひらがなというのは大いにアリだと思った。ので、abさんご、気合いと根性で読むぞ。

 

 

abさんご

abさんご